※部屋表記
 → 連絡室への門が開いている部屋
 ■ 容疑者が退場させられた部屋



 俺の名前は板東元。どこにでもいる高校生だ。いや違う。昔はそうだったかもしれないが、今は人には言えない稼業をしている。
 今の俺の身分は、何と言ったらいいのか……わかりやすく言うならとある知能犯罪組織の構成員だ。まだ入って一月も経っていない新米だが、しかし既に警察にそう名乗り出たら普通に拘束されてしまうはずなので、犯罪者の端くれではあるだろう。
 犯罪者組織と言っても、その全貌を俺のような最底辺の者は知らない。というか名前すら知らない。とりあえず、「奥先生」と呼ばれているリーダー格の人間の存在は知っているが、彼は巨大なこのグループの中のとある部門の責任者に過ぎないらしい。とはいえこの部門というのが、詐欺やらネット犯罪やらを専門とする技術的な集団の癖にやたらと統率が厳しく、なんたら組とかなんたらファミリーとか呼ばれてもよさそうな体裁を持っていた。奥先生の言葉には基本的に服従、以下の構成員も数段階の階層に区分されている。俺はその末端も末端というわけだ。
 そんな足場も糸瓜もない立場の俺は今、かなり特殊な状況に立たされている。
 ……どこだここは。
 不安感と共に心拍数が高まるのを感じる。
 目隠しを外された直後に目に飛び込んできたのは、各辺が2、3メートルほどの六角形の部屋だった。巨大なコアラのマーチの空箱に入った状態と言った方がわかりやすいだろうか。
 六方の壁には高い位置にそれぞれTからYまでの札がかけられてあり、その下にアーチ型の門がある。TとWの門は扉があり通れそうだったが、他の門は全て白い壁で塞がれていた。
『板東、聞こえるか』
 部屋の中央にあったモニターに奥先生の顔が映り、そう言った。俺は慌てて背筋を伸ばし、答える。
「はいっ、大丈夫です、聞こえています」
『そうか。まず最初に言っておくが、これから“ゲーム”が終わるまでお前の言動は全て監視されている。少しでも不穏な動きがあればお前を抹消リストに加えるからそのつもりでな』
「は……い」
 嫌な汗が滲むのを感じた。
『事情は大体事務所で説明した通りだ。大変腹立たしいことに、俺らの組織の中から裏切り者が出た。そいつは事務所の金をちょろまかし、その上俺らの情報を対抗する連中に売り渡そうとしていた。今回はどうにか尻尾を掴むことができたが、下手をすれば事務所が警察に押し入られていたかもしれん……。というわけで、その裏切り者には当然制裁を加えなければならないのだが……』
 今朝、俺が事務所へ出向いたときにされた簡単な説明を、奥先生は詳しく語る。
『ちょっとした伝統がうちにはあってな。今回のようにどう考えても生かしては置けないような組員が出た場合、しかしそのまま殺すことはしない。一度蘇りのチャンスを与えるのだ。そう……俺らが用意したゲームに挑ませ、そいつが勝利を収めた場合。そのときはそいつの罪を全て不問に帰すことにしている。これはそいつを本当に処刑してもいいのか、本当に頭の切れる奴であれば罪を問わず組織に置くべきではないのか、というわけだ。わかるか』
 ここまでは事務所で聞いた通りだった。状況が頭の中で整理されていく。よし、多少は余裕も出てきた。どうも奥先生の前だと俺は縮み上がってしまってよくない。
「はい。……いくつか質問をしてよろしいでしょうか?」
『ああ。一気に説明するのも面倒だからな。こっからは質疑応答形式でいこうか』
「わかりました。ではまず……何故自分がここに立たされているのでしょうか?」
 当然、入って数週間の俺は組織を裏切った覚えなどない。それなのに何故……まぁ薄々感づいてはいるが。
『そのくらい察しろ。今回のゲームの相手に、お前を選んだんだ。お前が勝てば“犯人”は処刑される』
「……思慮が及ばず申し訳ありませんでした。では、そのゲームとは……“犯人当て”なのですね?」
 ろくに他の構成員の名前も知らない俺が選ばれたのだから、恐らく俺に犯人を当てさせるのだろう。案の定奥先生は頷いた。
『ああ。……ひとまず、画面下のパネルを見てくれ』
 奥先生が映っているモニターの下方には、モニターと同じくらいのサイズのパネルがあった。そのパネルには地図らしきものが描かれている。
 抽象化された花のような図形だった。中央にある六角形の空間を柱頭だとすると、その各辺の外側に一つずつ設けられている部屋が花弁といったところか。
 中央の部屋には「連絡室」、周囲の部屋には時計回りにTからYまでのギリシャ数字が振られている。この部屋の壁に見えているあの門は、するとそれぞれの部屋に通じる門なのか。六つの部屋全てには緑色のランプが点されており、Tの部屋とWの部屋の門のところには「通行可」と書かれた文字の横の小さなランプが点灯していた。他は全て「通行不可」だった
 うーむ……。何だか奇妙な構造をしているな。何の意味があるんだ?
『それがこの“悪意の円環”と呼ばれているゲーム盤の見取り図だ。お前が今いるのが中央の連絡室。その周りを囲む六つの部屋に、容疑者の構成員が一人ずつ収容されている。お前の役割はその六人の中にいる“犯人”を特定することだ。つまり取調室が輪になっているようなものだ』
「この図からすると……取調室はそれぞれが繋がっているのですか?」
『そうだ。お前は自由に取調室を移動できるし、自由に連絡室に戻ってくることができる。但し、連絡室から行き来できるのはTの部屋とWの部屋だけだ。これ以上の説明は、少し後ですることにする。まずお前は、容疑者の顔ぶれを見に行ってこい。六人全員の顔と名前を把握したらまたここへ戻ってくるがいい。そのときが本当のゲームスタートだ』
 奥先生は妙にもったいぶった言い方でそう告げた。
 俺はまだ部屋の構造を教えられただけで、ゲームのルールについては全く教えられていないのだが……まぁ、それならまだ深く考える必要もないのだろう。
 奥先生にモニター越しに一礼をすると、俺はTの門の前に立った。
 門は自動ドアのようで、俺に感応してゆっくりと開いた。その向こうには薄暗いTの取調室が広がっている。
 さて……ここまでの流れを要約すると、どうやら俺は面倒なことに巻き込まれてしまったようだが……まぁ仕方ない。食い扶持を求めてのこととはいえ裏稼業に手を染めたんだ、こういう状況に立たされもするだろうさ。
 それに、元々俺は推理ゲームが得意じゃないか。そう、ここでうまいこと犯人の鼻を明かしてやれば、組織内での地位も少しは上がるだろう。そうだ、これはチャンスじゃないか!
 ……裏切り者とやらには、俺が活躍の場を得るための踏み台になってもらおう。
 俺は意気揚々と取調室に足を踏み入れた。

<一日目>
T→横井雅道
U 高浜瞳
V 山吹夏舟
W→杉下燈紀
X 渡部覚
Y 木下十悸

 なんとも殺風景な取調室だった。普通取調室ってのは殺風景なもんなんだろうが。とりあえず奇妙な点がいくつかある。
 まず部屋全体が台形をしていること。これは地図で確認してあるが。部屋が妙に薄暗く、天井から吊るされた電球だけが光源であること。……なんとなく物々しい雰囲気だな。
 門から部屋に入ると左右に扉が見える。Uの部屋への扉と、Yの部屋への扉だろう。だが部屋を移動するのは、電球の下に座る最初の容疑者に軽く話を聞いてからだ。
「あのー。初めまして、えっと。先月入られた板東さんでしたっけ?」
 椅子に座る、少年のような顔立ちの男が俺を見て言った。手首と足首は金属の拘束具が嵌められているが、それほど厳重そうにも見えない。その頭には安っぽいヘッドホンが装着されている。
 そいつは横井雅道と名乗った。俺の名前を知っていたのは、同僚の顔と名前はまめに覚えるようにしているから、とのことだ。
「で横井。お前、何か知ってることはないか? この妙な装置について」
「いやぁそれが、何にも教えられてなくて……」
「そうか……。とにかくわかっていることは、六人の容疑者が環状に並ぶ六つの部屋に一人ずつ収容されてるってことくらいだな。まぁとりあえず俺、他の部屋も回ってみるから」
 俺は左右の扉を見る。数字は時計回りについていたから、右の扉がUの部屋だろう。……まぁここは普通に順番通りに回ってみるか。
 Uの部屋への扉のドアノブを回してみる。確かに通れそうだ。俺は横井を振り返った。
「じゃまた後でな。お互い災難だが、できるだけ早く犯人を吊るし上げてやるからちょっと待っててくれ」

 二つの取調室を繋ぐ扉は二重になっていた。扉を引く手ごたえは重く、どうやら防音扉のようだった。
 Uの部屋にいたのは女性だった。横井と同様、椅子に拘束されている。何となく女性が拘束されていると男性とは違った印象を受けるな……何考えてんだ。
 俺はそれまで、自分の組織の中に女性の構成員がいることすら知らなかったのでやや驚いた。それを口にして、僅か後に多少後悔することになる。
「……何だ。女もいたのか、うちには」
 その女は顔を上げてきっと俺を睨むと、張りのある声で言う。
「女がいたら悪いの? 何なら今度格闘訓練の相手をしてあげましょうか?」
「……いいよ別に」
 性格のきつそうな奴だな。というか格闘訓練があるとは聞いていないんだが。
「お前もうちの部署の人間なのか?」
 もしかしたら自分より立場が上なのかもしれない相手に対する口調ではないが、探偵役なんだしこれでいいか。
「そうよ。……元々はあなたたちよりもフィジカルな危険に晒される部署の人員だったのだけど、人手不足ということでつい先日奥先生に引き抜かれたの」
「ほう。道理で喧嘩っ早そうだな」
「ありがとう」
 彼女はそれを褒め言葉として受け取ったらしく、微笑んだ。今更だがかなり整った顔立ちをしている。険しい表情のときは粗暴と精悍の中間といった印象だったが、表情が和らぐとなんとも見目麗しい女性であることが判明した。見目麗しいとか初めて使ったな。どうでもいいが。
「……そういや名前聞いてなかったな。俺は板東元。お前は?」
「高浜瞳。皆からはタカヒトさんって呼ばれているわ。よろしく、板東君」
 タカヒト? あぁ本名を略してるのか。何か小学生っぽい通称のつけ方だな。まぁなんとなく気高い響きが本人の気質に似合ってる気がしないでもないしいいか。
「あぁ、よろしくな、タカヒトさん」
「……で、つい先日うちに来たってことは、この部屋──“悪意の円環”って言うらしいが、このことについても知らない、よな?」
「そうね。あぁでも……一つ。このヘッドホンからあなたと横井君の声が聞こえていたのよ。Tの部屋の何処かに集音性のマイクがあって、会話や物音を拾ってこっちに流しているみたい。扉を開ける音も聞こえていた」
「……なるほど。ってことは多分この部屋の会話も」
「ええ、恐らく隣に聞こえている、あるいは全ての容疑者のヘッドホンに流されているのかもしれない。まだ確かめようがないけど」
 うぬ……円環構造の目的の一端が見えてきた気がする。他の者との会話を聞くことができる、か。
「まぁ、とりあえずこれからよろしく頼むな。じゃ、次行ってみるか」

 Vの部屋にいた人物には見覚えがあった。そいつは昔俺と知り合いだった男だったからだ。
「夏舟! お前も容疑者だったのか」
 椅子に拘束されている、俺と同い年の男性──山吹夏舟が苦み走った笑みを浮かべてみせる。
「やめてくれよ、俺が悪いことしたみたいな言い方は。……にしても、こんな形でお前と向かい合うことになるなんてな」
「全くだ……。ってか、その言い方だとお前が犯人みたいに聞こえるんだが」
 夏舟は気障ったらしく肩を竦めて見せる。
「なわけねぇだろ。俺はこう見えて危ない橋は渡らない主義なんだ」
「なら何でこんな組織入ったんだよ」
「気まぐれだよ。おっと、こんなことを言ったら後で奥先生に何されるかわからねぇな」
 この、妙に格好つけているように見えてなんとなく気に喰わないという印象を俺に与えている夏舟という男は、学生時代からの俺の知り合いだ。友人ではないと思う。まぁライバルって言い方が相応しいか。この言葉を使うと「良き友人にして好敵手」みたいなイメージが付きまとうからあれだな。
 俺からしてみればどちらかというと「宿敵」って感じだ。いつも何かと対立してきた。それに俺はこいつ個人に対してはあまり好印象を抱いてはいない。向こうは知らないが。
 先ほどのタカヒトさんの部屋で円環構造について触れていなかったのを思い出し、俺は部屋の構造について軽く説明した。といってもそんなに話すこともないのだが。
「なるほどな……。ところで板東。とりあえず俺は犯人には全く心当たりがないわけなんだが、お前に一つ情報をやることができる。ほしいか?」
 にやりと含み笑いを浮かべて見上げられる。いちいち鬱陶しいなこいつは。
「早く言え」
「仕方ないな。俺が言わなくてもどうせすぐわかるだろうからいいんだけどよ。お前とタカヒトさんとの会話を俺はヘッドホンで聞いていた。その前の横井との会話は聞こえなかった。それで俺は、それを伝えるために『聞こえているぞ』ってここで言ってみたんだ。でもお前らから反応はなかった。念のため聞いておくけどよ、俺の声は届いていたか?」
 何だと?
「いや、全く……。ってことは何か、音声は一方通行だったってことか?」
「恐らくな。タカヒトさんとの会話でお前、この部屋のこと“悪意の円環”って呼んでたよな」
「あぁ、奥先生にそう聞いたんだ。ついでに言うと、この取調室は全部で六つあって、中央の部屋を囲んで環状に配置されている」
「そうか……なぁ、それってこういうことじゃないのか? 全ての部屋の容疑者は、右隣の部屋の物音がヘッドホンに流される……。つまり、情報の順路が円になっているわけだ」
 本当か? 念のため、他の部屋の人に呼びかけてみる。
「おーい! 他の部屋の奴、聞こえていたら返事をしてくれ!」
 少し待ってみるが返事がない。
 ……なるほど。例えば夏舟がいるこの部屋では、夏舟はUの部屋の音声を聞くことができ、この部屋の物音はWの部屋にいる容疑者に流れていく。音声の通り道は部屋番号を昇順に動き、連絡室を中心に時計回りの渦を成している……。
「なるほど、その可能性はあるかもしれないな……。まぁ、いずれにせよ後で奥先生から詳しい説明があるらしいんだ」
「あぁ、頑張ってくれよ。つっても……俺、聞いたことがあるんだよ。そんなに詳しくは知らないけど。何でもこいつにかけられた“犯人”は、その殆どが脱落しちまうんだと。ただたまに探偵役が負けることもあって、その場合負けた探偵役がどうなったかは、誰も知らない……」
 背筋が寒くなる。それって、リスクは低いが失敗したときの支払いが高くつくってことか……?
「それ以外には、何か知らないか?」
「いや、特には。悪いな、力になれなくて」
 お前の手助けなんていらねぇよ。自力でなんとかする。
「じゃぁな。また来るから、それまでのんびりしてろよ」
「あぁ。せいぜい頑張れよ」
 唇の端を吊り上げて笑う。俺は意図的に仏頂面を作って夏舟の部屋を後にした。

 Wの部屋にいたのは、またしても女性だった。が、今度は多少事務所で顔を見かけた記憶がある。
「なんだお前、事務所でお茶汲みやってたやつじゃんか。お前も構成員だったのか?」
 外見は俺と相対して変わらないであろう彼女は、確か事務所では杉下と呼ばれていた気がする。
「あーえっと、うん。っていうか、そうに決まってるじゃん! バイトであんな危険な場所に出入りなんかしないよー」
 短期バイト然としたノリの軽い口調で彼女は言った。こんなんがいて大丈夫なのか? うちの組織は。
 念のため部屋を見回す。Vの部屋やUの部屋と異なっている点が一つだけ。連絡室への門がどうやら通行可能らしいのだ。扉は閉まっているが、Vの部屋のように白い壁で塞がれていたりはしない。連絡室へ出入りできるのはTの部屋とWの部屋。確かにその通りのようだ。
「まぁとりあえず自己紹介しておくか。俺は坂東元だ。お前は……」
「ひのり。杉下燈紀でーす。よろしくねっ! いやー。てかこれでもそこそこ古参なんだよ私。夏舟よりも前からいたし」
「ほー。まぁ人は見かけによらないって言うしな。……そういえばお前、俺と夏舟の会話聞いてたつったな?」
 燈紀は頷き、俺が何を言おうとしているのか察して付け加える。
「そうそう、板東が『聞こえてたら返事しろ』って言ったとき、私ちゃんと返事したよ。聞こえとるがなーって」
 やはりか……。
「じゃとりあえず俺はもう行くからな。お前もせいぜい疑われないようにな」
「私はスパイじゃないよー」
 燈紀は口を尖らせる。何とも自然な潔白アピールだ。こいつがスパイだったら相当な役者だな。
 俺はそんなことを考えながら、Xの部屋へと通じる扉を開けた。

 Xの部屋に入った途端、妙な空気が俺を包み込んだような気がした。
 何だ……この、例えようもない奇妙な感覚は。あえて例えてみるとするのなら、温度一定のまま湿度が急上昇したような感じといったところだろうか。
 戸惑う俺に、すぐさま声がかけられた。
「いらっしゃい、板東元君。クックック……」
 椅子に座っていたのは、見覚えのない男だった。男だというのは俺がある程度冷静になってから下した判断だ。というのも最初、俺はそいつの性別を見抜くことができなかったのだ。そいつは非常に女性的な顔立ちをしていたし、頭髪は長くポニーテールにしていたためだ。声もどことなく中性的な響きがある。
「あ、……そう、お前とは初対面だな。まぁ俺は大抵の奴とは初対面だろうけど」
「僕は君のこと、ちょっとだけ知ってるんだけどね……ククッ」
 いちいち気持ち悪い喋り方をする奴だな。本当色んな奴がいるなうちは。
「自己紹介が遅れてしまったね。僕は渡部。渡部覚。君の名前と少し似ているかな?」
 どこがだ。文字数くらいしか被ってないだろうが。
「で、渡部つったか。ここの構造とかの話、どのくらい聞いたんだったか?」
「声が一方通行に流れるということをついさっき知ったよ。君と燈紀ちゃんの会話を聞いて」
 燈紀ちゃんと申したか。何なんだこいつ。
「そう、まるで“伝言ゲーム”だね?」
「は?」
「そうじゃないか、この円環。時計回りにメッセージを順々に送ることは出来るけど、逆流は許されない。うーん、ここらへんにゲーム性が見え隠れする気がするね?」
「そうかい。伝言ゲーム、なぁ。俺はどちらかというと、そういう身体的なゲームは好みじゃないがな。それも大勢が参加するタイプのものは。長縄跳びは嫌いだった」
 単にいつも俺で引っかかるというだけの理由だったが。
 渡部は嫣然と微笑んで数度頷く。
「そう、君は確か……戦略を有するゲームを好みとしていたね?」
「何で知ってるんだよ」
「仲間の情報は詳しく把握しておくに越したことはない、違うかい?」
 さも当然とでも言いたげな目を向けてくる。何でこういちいち演技がかった喋り方しか出来ないんだこいつは。
「とにかく、お前についてはもういい。あと一人、確認して挨拶を済ませておかなきゃいけない奴がいるんだ。その後で奥先生から詳しいルールを聞くことになってる。……あんまり待たせると後でどやされるからな。俺はもう行くぞ」
「どやされるだけで済めばいいけどね。クックック……あの人は恐ろしいよ……?」
「……まぁ、そうだな」
 とりあえず……これ以上こいつと話すのはやめよう。ペースが乱されて仕方がない。
 俺は絡みつくような渡部の微笑を振り切ってYの部屋への扉を押し開けた。

 Yの部屋にいたのも知らない男だった。
「ん……? あぁ、こんにちは」
 俺に気付き挨拶を投げてきたその男の第一印象は、テンポが遅い、というものだった。もう少しわかりやすく言うなら、どこかのんびりしている。
「あー、こんにちは。……初対面だよな?」
 思わず挨拶を返しつつも、念のため尋ねておく。
「うん。そうだね。君の名前は、板東、元、かな? さっき、渡部がそう呼んでいたけど。オレは、木下。木下十悸。どっちかっていうと、任務に駆り出されることも少ないから、オレとはあんまり、会う機会がないかも、ね」
 うぬ。燈紀の次くらいに犯人っぽくない気がする。あくまでも第一印象としては、だが。
「渡部と俺の話は聞こえてたか?」
「うん、そうだね。大体わかったよ」
「そうか。というか……いちいちややこしいな、この構造は。前の部屋で自分が何を話したか記憶しておかないといけないんだから」
 恐らく、それを怠ったときに足をすくわれるのだろう。これからは気を引き締めていかなければ。
「それにしても、君も、不幸だよね。オレみたいに、ただ容疑者役として座ってるだけならともかくさ……君は探偵役だろ」
「あぁ、確かにお前よりは責任重大だろうが」
「そうじゃなくて。オレらは大丈夫だけど、君は命の補償がされていないじゃないか」
「……ほ?」
 思わず変な声が出た。
「いや、オレもこのゲームというか、システムについて詳しく知ってるわけじゃないけど……多分そうなんじゃないかな?」
 言われて見れば……。“犯人”はゲームに負けたら処刑ということが決まっている。つまり死にたがり屋でない限りは本気で挑んでくるわけだ。であればその相手をする探偵役が、どうせ自分は負けても死なないなどと手ぬるい考えでいいはずがない。
「……確かに、そうかもしれない……か?」
「不安がらせちゃったかな」
 木下は申し訳なさそうにそう言った。

 板東が容疑者の顔を確認して回るのを、モニタールームで監視している男がいた。
「随分時間がかかるようだな、顔見て名前だけ聞けば十分だろうに……」
 彼こそはこの部署の責任者にしてゲームマスター、奥先生こと奥哲郎その人であった。
「どうだポニー。今回の戦い、どっちに分があると見る?」
 奥が話しかけたのは彼の背後に立ってモニターを眺める若い女性だった。
「そうですね。正直駄目かもわかりませんね。今頃命をかけられている可能性に思い至るようでは」
 彼女の名はポニー坂本。板東たちの先輩に当たる最古参の女性構成員にして、このゲームの立案者でもあった。
 モニタールームにいるのは二人だけだった。彼らの前には全ての部屋の映像が映し出されており、音声も一まとめに流されている。悪意の円環は、別の容疑者の買収といった反則がなされないように常に監視されている必要があるからだ。
「“犯人”は、板東君にとって天敵ともいえる思考の持ち主です。立場の対等なゲームであれば思考力のある板東君にも目があるかもしれませんが、この悪意の円環の上では……」
 ポニー坂本はそこで言葉を切った。板東が全ての容疑者との会話を終え、Tの部屋から連絡室へと戻ってきたのだ。
 奥はカメラの前に座りなおし、手元の通話ボタンをオンにする。
「終わったようだな、板東」
『はい。とりあえず容疑者は把握しました』
「よし、じゃそこで十秒くらい待っていろ……」
 奥は「キーワード通達」と書かれたボタンを押した。これにより、犯人にだけヘッドホンを通じて「各容疑者のキーワード」が教えられる。正義、超能力、無音、信念、魔法……。
「もういいだろう。それじゃ、全体放送に切り替える」
 奥がマイクの放送先を「連絡室のみ」から「全体」に切り替えると、彼の声に反応して全ての容疑者が顔を上げる。
「聞こえているか、お前ら。これは全体放送だ、そこにいる七人全員に聞こえるよう流している。板東との顔合わせが済んだところで、そろそろゲームを始めてもらおうと思う。まずこの装置の構造だが、板東との話で大体理解してもらえたと思う。全ての部屋の容疑者は、その右隣の部屋の物音がヘッドホンから聞こえている。これが基本だ。さて……以後、板東を“探偵”、そして板東が見つけ出すべき裏切り者を“犯人”と呼称する」
 奥は手元のルール表を見ながら話す。
「予め言っておくが、このゲームには探偵にも命をかけてもらう。端的に言うと犯人と探偵、負けたほうが処刑されるわけだな。
 更に、容疑者の中で犯人に協力した者が現れた場合、そいつも処罰の対象に入る。全ての部屋は監視されているから早まったことはするなよ。更に、探偵と容疑者は嘘がつけない、という制限を加えさせてもらう。虚偽の証言をしたり自らの言を翻したと俺が判断した場合、ゲームは中止となり、そいつは探偵、犯人と共に処刑リストに名を連ねることになる。
 ではまず、探偵の勝利条件から話すか。
 探偵の勝利条件はもちろん犯人を特定すること。犯人がわかったら、いつでもいいから連絡室へ来て誰が犯人か言え。正解していれば探偵の勝ち。ここまではいいな。
 犯人の勝利条件は、もう少し複雑になる。一言で言うなら『最後まで疑われない人物でいること』だな。犯人はある方法で、自分以外の容疑者を一人ずつ退場させることができる。つまり容疑者を犯人自ら絞っていくわけだ。そして容疑者が最後の二人になったとき、探偵が二択を誤り容疑者を犯人だと答えてしまった場合にのみ犯人の勝利となる。この段階に至る前、つまり残り容疑者が三人や四人のときに探偵が最終回答を出し、それが不正解だった場合は、探偵も犯人も処刑する。また制限時間もある。探偵が一時間以内に最終回答を出さなかった場合も二人とも処刑となる」
 奥が突きつけたのは、探偵にとっても犯人にとっても非常に厳しいルールだった。しかしこの先の『噂システム』は圧倒的に犯人にとって不利な条件を提示する。
「さて、退場のさせ方について詳しく説明しよう。全員、特に犯人は心して聞くように。犯人が他の容疑者を一人退場させるときに必要な行為は、『噂を円環に流すこと』だ。伝言ゲームのようにな。
 各容疑者にはそれぞれを示すキーワードが与えられている。これは犯人だけに教えてある。犯人は退場させたい容疑者のキーワードを織り込んだ噂を作り、それを流す。例えば“風船”というキーワードが与えられた容疑者を退場させようと思ったら、《空に風船放つ》という言葉を左隣の人に伝えるのだ。『噂が回ってきた、《空に風船放つ》、だ』とでも言ってな。噂が一周して犯人の部屋へ還ってきたら、噂は成功だ。その時点でキーワードが示す容疑者は退場となり、その部屋へは探偵は入れなくなる。もし退場させられた部屋に連絡室への門が開いていた場合、その左隣の部屋の門が開かれる。その部屋も退場させられていた場合は更に左隣、だ。
 例えばVの部屋の容疑者が退場させられたとしよう。その場合、それまでVの部屋の音声を流していたWの部屋のヘッドホンには、Uの部屋の音声が流れるようになる。更にUの部屋の容疑者が退場させられれば、Tの部屋の音声が流される。このように、常に右隣の生き残っている部屋の音声が流されるのだ。
 以上がこのゲームのルールだ。細かなことを言うが、一度に流す噂は一つだけだ。そして一つの噂に含められるキーワードは一つだけ。また、噂の内容は指定しない。単語でもいいし文章でもいい。あと、噂を止めるのは禁止だ。それが探偵側の完全回答だからな……。流された噂は必ず次へ回してもらう。
 そして、先手は犯人側に与えるつもりで板東には連絡室に戻ってきてもらったが……最初の噂は既に流されているようだな。それでは」
 奥は脇においてあったミネラルウォーターを口に含み、最後に一言マイクに向かって言った。
「健闘を祈る」

 長い説明が終わり、画面に映っていた奥先生の姿が消えた。見取り図を見ると、まだTの部屋とWの部屋の門は通行不可になったままだ。最初の噂が一周するのを待っているということだろう。
 それにしても……色々と説明されたことは一通り頭に入ったが、これはなかなか一筋縄ではいかなさそうだ。要するに噂の発生源を特定すれば俺の勝ちになるわけだ。となれば、単純に考えて噂が流れている現場を押さえれば良い。部屋を回って話を聞いていけば、必然的に怪しい人物が浮かび上がる。
 例えば、Vは噂を聞いたがUは噂をまだ受け取っていないし流していないと証言した場合、明らかに二人のうちどちらかが嘘をついていることになる。この時点で容疑者は二人に絞れてしまう。となるとまず俺は、とにかく噂が流される現場に立ち居合わせる必要があるわけだ。
 しかし犯人にしてみれば、俺が居座っていた場合安易に噂が流せない。となると、どんどん時間が過ぎていくから、俺も犯人も追い詰められる……。
 つまり、俺はただひとつところに留まって噂が来るのを待つだけでは駄目なのだ。ある程度隙を与えてやらないと、向こうも動けない。どう隙を与えるかで、どちらが優勢に立つかが決まってくる、ということか。
 そうこう考えているうちに、パネルの表示が変わった。
 ──Tの部屋の緑色のランプが消え、Uの部屋とWの部屋の門に通行可の表示が現れる。
 つまり、Tの部屋の容疑者──横井がまず外されたというわけだ。

<二日目>
T■
U→高浜瞳
V 山吹夏舟
W→杉下燈紀
X 渡部覚
Y 木下十悸

「よう。始まったな」
「うん、そうだね。頑張ってね、探偵さん。オレもできるだけ協力するよ」
 俺はまずWの部屋の扉から円環に入り、無言でWの燈紀とXの渡部の横を通り過ぎるとYの部屋へと入った。音声は昇順に流される。Uの部屋から順番に部屋を移動しつつ話を聞いていった場合、犯人に部屋移動のタイミングを気取られて隙を突かれるかもしれない。
「とりあえず証言してくれ。さっき流された噂は何だった?」
「《超能力は存在しない》、これが流されたんだ」
「いつ流された?」
「そんなのわからないよ。君が来る直前ではなかったけど、時間を計っていたわけじゃないし」
 そうか。部屋に時計はないし、秒数を数えてもらっても容疑者間で必ずずれるだろうから当てにはできない。
 それにしても《超能力は存在しない》か……。すると横井のキーワードは《超能力》だったのか? まぁいい。
 念のため、Tの部屋へ通じていた扉が開かなくなっていることを確認すると、俺はXの部屋へと移動した。

 渡部は俺の姿を見るとにこやかに話しかける。
「やぁ、元君。調子のほうはいかがかな?」
 う……やはりこいつとはあまり話をしたくない。
 が、俺が証言を聞く前に渡部は自分から問いかける。
「元君、君はどのように戦略を立てているかな? 見通しがあったら聞きたいな」
「言うわけないだろ、ここでもらしたりしたら、お前か木下が犯人だったら目も当てられない」
 実際は作戦らしい作戦はまだ持っていないのだが、一応強気に出ておく。
「それより何でそんなことを聞くんだよ。探偵の動向を把握しようとする奴は信頼度ダウンだぞ」
「あぁ、気に障ったのなら謝るよ。すまなかった。でも僕を疑うのはよしてくれよ、これでも君に協力しようと思ってある作戦を立てたんだ。聞いてくれるかい?」
 ……作戦? 何を言い出す気だ……?
「……とりあえず言ってみろ」
「ありがとう、君みたいな物分りのいい子は話が通じやすくて大好きだよ」
 無言で受け流す。
「作戦というのはね、実はもう実行したんだ。先手必勝ということさ。このシステム、噂が回りきった後だと、誰が噂の発信者かわからないだろう? だから僕は、僕のところで噂を改変したんだ」
「何だと……?」
 渡部はクククと目を細めて笑う。
「燈紀ちゃんからは《超能力は存在する》という噂が回ってきた。僕はそれを、《超能力は存在しない》と言い換えたのさ」
 え……。渡部は余裕のある表情を浮かべているが、それって……。
「お前それって嘘をついたことにならないのか?」
「どうして? そんなことはないよ。僕はただ、十悸君に『《超能力は存在しない》と回してくれ』と言っただけだよ。燈紀ちゃんがそう伝えてきた、とは言っていない」
 そうか。まぁ確かに言っていることの筋は通っているが。
「何でそんな面倒なことを」
「全ての容疑者の証言を聞いて回った後、噂の内容を比べてみればわかるさ。僕が噂を言い換えたことにより、噂を発した犯人の下へは改変された噂が戻っていく。だから、僕以外で噂が変わっている人の前後が怪しいということになる。……わかってもらえたかな?」
 なるほど……確かに、攻撃的な手ではある。だがそう簡単に犯人が尻尾をつかませるだろうか? それに渡部が嘘を言っている可能性もある。
 とにかく他の者の証言を聞いてみよう。

 Wの部屋の燈紀は退屈そうにしていた。俺の姿を見ると、ぱっと明るい顔を浮かべてみせる。
「あーどう? どうだった? 犯人わかったー? 早く解放してよ、ここ。退屈で退屈で仕方ないんだもん」
「気楽でいいよな、お前は。で、さっきどういう噂が回ってきたか言ってもらえるか」
「《超能力は存在する》ってねー。てか一人容疑者減らされたんでしょ? 誰?」
「む……一応それは隠しておく」
 思えば最初の顔合わせで他の容疑者の情報を流しすぎた気がする。ひょっとしたら足を掬われるかもしれない。容疑者には最低限の情報だけ与えるようにしよう。

 Vの部屋の夏舟は俺を見ると、変に勝ち誇ったような笑いを投げてきた。
「板東、どうやらこいつはお前にとってもピンチらしいな。俺はともかく、お前は下手すりゃ殺されちまうんだからな」
 う……そういうことを言うな。俺を怖がらせてペースを乱す気か。
「いいから早く言え。回ってきた噂の内容」
「ああ。《超能力は存在する》だったな」
 とりあえずここまでは正常、か。

 夏舟→燈紀→渡部の間は普通に流されたように見える。となると、Uの部屋のタカヒトさんの発言で状況が見えてくるかもしれない。俺は心してUの部屋に足を踏み入れた。
 そう、確かに俺がそこでタカヒトさんから聞かされたのは、状況を新たな局面へと導く証言だった。
「板東君。どうだったかしら、ここまでの証言は。Yから降順に部屋を回ってきたんでしょう?」
「あぁ、まぁな。だがお前に他の部屋の情報を与えることはできない。いいから証言しろ、さっきの噂、横井からは何と回ってきた?」
 タカヒトさんは心を覗き込むようにじっと俺の目を見つめてきた。何だか気まずくて目を逸らす。
「……なるほど、あなたもそこまで馬鹿じゃないのね。容疑者に他の部屋の者の情報を与えるようだったら、もうあなたのことは諦めていたわ」
 褒め言葉か? いや、ただの冷静な判断か。
「恐らくあなたはここまで全ての証言を聞いてきて、証言が途中で変わっていたことに気付いたでしょうね。それで慎重になっている。えぇ、そうよ。私が噂を改変したの。《超能力は存在しない》から《超能力は存在する》にね」
 そう来たか。
「……ほう。犯人を割り出すためにか」
「勿論。でもその反応からだと、どうやら私以外にもそう証言した人がいるみたいね」
 鋭い女だ。あえて何も言葉を返さない。容疑者だとしたら頭の回転が速いだけだが、犯人だとしたらやや無謀な発言だな。
 とにかくこれで最初の噂の証言が出揃った。ひとまずこの部屋を出ずに考えよう。部屋移動は数秒のロスがある。そこを突かれるかもしれない。特に昇順に部屋を移動するときは気をつけなければならない。移動する先の容疑者には俺が部屋を移動するタイミングが筒抜けなのだから。
 各容疑者の証言をまとめると、こういうことになる。
 T 横井 (超能力は存在しない)
 U タカヒト 《超能力は存在しない》→《存在する》
 V 夏舟 《超能力は存在する》
 W 燈紀 《超能力は存在する》
 X 渡部 《超能力は存在する》→《存在しない》
 Y 木下 《超能力は存在しない》
 この状況からでは、犯人は断定できない。タカヒトか渡部のどちらかが犯人で、還ってきた噂の内容が違っていることから誰かが噂を改変したことに思い至り、自分も噂を改変したと嘘をついたという可能性が強いのは確かだ。だが、二人とも無実であるとも考えられる。つまり、どちらかが改変したが、もう片方がそれを偶然元に戻してしまった、と……。
 キーワードは“超能力”だろうから、この肯定⇔否定の改変が重なることは、可能性は低くとも起こり得る話だ。そうだ、これが犯人の策なのだ。
 タカヒトさんと渡部のどちらかが犯人だとしたら、噂を改変したなどと言わず、自分が回した噂を証言してもいいし、回ってきた噂を証言してもよかった。だがその場合、自分と前後の者の証言が明らかに食い違っており、そのため容疑者が限定されてしまう。しかし自分も改変したと言っておけば、信頼度に差は出るものの、確定白は現れない……。
 しかし問題はこれからだ。今度は俺もただでは簡単に連絡室には入らない。だが俺が動かなければ噂は回らない。どうする、どうやって犯人を動かせばいい……? 制限時間はあるんだ、しかし慎重にいかなければ。
 それにしてもタカヒトさんも渡部も、……村人、つまり白だとしたら随分と余計なことをしてくれた。いや、それでも確かに犯人の可能性に偏りが出た分、ましになったといえるのか……? あっ……、そうだ、もしかしたら……!
 そのときある考えが閃いた俺は、無言でその効果を検討した。タカヒトさんに表情を探られないよう彼女に背を向ける。
 これはタカヒトさんと渡部のどちらかが犯人だと見た上での作戦だ。しかしもしその二人のどちらかが犯人だった場合、この作戦でかなり信頼度に差を生じさせることができる……!
「よし……俺がここで考えていても仕方がないな。だがそう簡単に連絡室に入るわけには行かない。ちょっと待っててくれ、ある策を思いついたんだ。また戻ってくる」
 俺はタカヒトさんにそう言い残すと、Vの部屋への扉を開いた。

 それから俺はVの部屋からYの部屋まで誰とも話さず移動した。移動のタイミングを気取られないようそれぞれの部屋で微妙に立ち止まりはしたが。
 Yの部屋についた俺は、木下にこう言い聞かせた。
「これから俺は順に部屋を回り、最後に連絡室に入る。犯人にその間噂を回す時間をやる。噂が回り、誰か一人が退場させられたのを確認したら戻ってくる。俺が連絡室に入ったら、それを見た部屋の者は俺が連絡室に入ったことを噂で回してくれ。噂が回りきる前に俺が連絡室から円環に戻らないことは約束しよう。これを俺が破った場合、探偵と容疑者は嘘をつかないという制約によって罰せられることになるからな。これは保障される。えーと……次は白の容疑者か。犯人以外の容疑者にも言っておくことがある。まず噂は改変するな。勝手に噂を変えた奴は犯人と見なす。あと、嘘の噂も流すな。そして俺が話しかけたとき以外は黙っていてくれ。あ、噂が流れてきたときはすぐ言うように」
 これだけ言っておけば大丈夫だ。奥先生から提示されたルールはかなり緩かった。噂が回っている最中、それを俺が捉え、発生源を手繰っていったところ、「陽動作戦として偽の噂を流したんだ」とでも言われたら溜まったもんじゃないからな。勿論その場合そいつは犯人候補の筆頭になるわけだが。
 俺は同じことを渡部、燈紀と部屋を降順に移動しながら一人ずつ言い聞かせた。面倒だが仕方がない。降順移動が最も安全な動き方だし、俺の注意事項はメッセージとして回してもらうには長すぎる。
「さて、夏舟……」
 Vの部屋にやってきた俺は夏舟の前に立つ。他の部屋の者に言った内容と同じ注意を話した後、間を置いて更に付け加える。
「と、ここまでの内容を俺は他の連中に話してきたわけだが……こっからは違う。これから俺は罠を仕掛ける。今隣の部屋でこれを聞いている燈紀も黙って聞いていてくれ。お前ら二人を俺は白寄りで見ている」
「白寄り?……あぁ、犯人の可能性が薄いって意味か? 確かに、お前、タカヒトさんともう一人誰かを疑ってるって言ってたな」
「おい、不要な発言はするなよ」
 俺に窘められ、夏舟はへいへいと肩を竦めて口を閉ざした。
 燈紀に、俺がタカヒトさんを疑っているという情報が渡ったことによって、ひょっとするとまた戦局が変わってくるかもしれない。流石に考えすぎだろうが、容疑者に与える情報は最低限に抑えるに越したことはない。
「とにかく、俺に言われた通りにやってくれればいい。夏舟、お前は次に回ってきた噂を改変しろ。どういう改変でもいい。変えすぎてキーワードがわからなくなるって状況でなければな」
 夏舟はすぐに俺の作戦に思い至ったらしく、にやりと笑う。
「……そういうことか。考えたな、板東。これで噂が変わっていても、俺以外は噂を改変したとは証言できないわけだ。となると容疑者は二人に絞れる」
 そうだ。更に、俺が疑いの目を向けているUのタカヒトとXの渡部は隣接していない。証言が食い違った場合、隣り合った二人の誰かが嘘をついているという状況が生まれるはずだ。そのため、タカヒトと渡部のどちらかがほぼ犯人であると絞れてしまうはずだ。
「ああ。かなり有効な手のはずだ。燈紀、聞いているか。お前はただ黙って夏舟が改変した噂をそのままXの部屋の奴に流せばいい。……勿論、今返事はしてないだろうな?」
 まぁ燈紀とていくら見た目がそこらの女子高生でもこういう組織に入っているんだ、そのくらいの注意力は持っているだろう。
 約束を違わぬよう夏舟にきつく言い含めると、俺はUの部屋に移った。タカヒトさんに改変するな、という注意などを言い聞かせた後、俺が出て行ったらそれをメッセージとして回すよう頼む。タカヒトさんは了解し、俺は連絡室への門をくぐった。

 さて……。
 連絡室のパネルを見ながら、俺は張り詰めた思いで待った。
 俺の考えでは、これでかなり怪しい奴が浮き彫りになるはずだ。勿論慎重に行くつもりだが、もしかしたら最後の二択までもつれ込むこともないかもしれない。改変していないのに何故噂が変わっているのか、説明をつけることはできないはずだ。あるいは「聞き間違えて間違った噂を流してしまった」と弁明する奴が現れるかもしれないが、その場合はもう殆どそいつが犯人として見ていい。
 やがて、パネルの表示がまた変わった。Wの部屋のランプが消え、その門が「通行不可」になる。ここで燈紀を外すか……。まぁいい。もしかしたら犯人にも何らかの意図があるのかもしれないが、とにかくまずは夏舟に確認を取ってからだ。
 自然と口に微笑が浮かぶ。
 そう今、俺が犯人を追い詰めている……!

<三日目>
T■
U→高浜瞳
V 山吹夏舟
W■
X→渡部覚
Y 木下十悸

 Uのタカヒトさんを無言でスルーし、V、つまり夏舟の部屋に入る。
「さて……また一人消されたわけだ。まぁこれは俺が消させてやったんだがな」
「あぁ……そうだな。それで、今さっき流された噂についてだが……」
 心なしか夏舟は歯切れが悪い。どうした、何かあったのか?
「どうした。お前はどう改変したんだ? 詳しく言ってくれないと比較できなくて困るんだが」
 燈紀が消されたため、今この部屋の音声は容疑者の片方である渡部に聞こえている。まぁできれば俺の策を渡部に教えるような行為は避けたいのだが、渡部が犯人だとしたら戻ってきた噂が変わっていることでもう俺の策には感づいているだろうし、渡部が犯人でないとしたら聞かれたところで問題ない。
 だが夏舟の報告は、そんな俺の狡い考えをあっさりと覆す。
「タカヒトさんから回された噂は、……《永遠の奇跡に……捧げる聖杯は、あー……秘境に魔法使いを呼び、炎が……》違う、《古の炎が大陸を舐める》、だ。すまん、長い上にタカヒトさんもうろ覚えらしくて……うまく伝わっていないんだ」
 えっ……?
 俺がそのことに思い至るまで、さほど時間はかからなかった。
「なっ、……何だよそのでたらめな噂!? で、お前どう改変したんだ?」
「一番わかりやすいと思って、最後を否定形にした。《大陸を舐めない》ってな。でも多分……それ以外のところも間違って伝えているだろう」
 ──そういうことか……っ!
 やられた。読まれていたのだ。俺が誰かに噂を改変させることを。だから、改変された箇所がわかりにくくなるよう、でたらめに長い噂を回してきた……! いや違う、改変された場所はわかるのだ。この場合犯人は、「言い間違えた」という言い訳が通じるように仕向けたのだ。焦るな、これは犯人にしてみれば苦肉の策……。各容疑者の噂を比較してみれば、浮かび上がってくるかもしれない! 誰が噂の発生源なのか。そうだ、新しい噂を流される前に、全ての容疑者に証言を聞いて回らなければ。
「と……にかく。次に流される噂はもう改変するなよ。いいな。俺は……う、他の連中の証言を集めてくる」
 そこで俺は、ようやくそのことに気付いた。犯人が燈紀を消した理由。……馬鹿な、俺は何故このことに気付かなかったんだ!
 そうだ。犯人は円環を二つに分断した。Tの部屋とWの部屋が消され、連絡室への門は現在Uの部屋とXの部屋にある。つまり、UとV、XとYはそれぞれ鉛管の扉で繋がっているが、Uの部屋からXの部屋に行くには連絡室を通らなければならない。つまり犯人は、数秒だろうと俺が不在の時間を作り出したのだ。俺に傍受されることなく噂を一周させるために……!
 ええい、くそっ! 完全に犯人の掌で踊らされている気分だ。どうする、どうすればいい。どうやってここから犯人を割り出すんだ……! いやまて落ち着け、どんなに向こうが優勢に立とうと、最終的には二択。二択になるんだ。俺はそれまでにどちらがより犯人に近いかという情報を……いや駄目だ、どちらが犯人かという確実な情報でないと! 間違ったら殺されるんだぞ、だって! 死を賭けた二択なんて、そう安易な気持ちで挑戦できるはずがない!
 そのためには……今集められるだけの情報を集めるしかないのか。連絡室を通って……。大丈夫、走り抜ければすぐだ。扉が開くのに若干の間があるものの、その気になれば端から端まで五秒で行けるはずだ。厄介なのは、門のある部屋にいるタカヒトさんが犯人だった場合。俺が連絡室に行くタイミングを完全に把握できる。しかし、走れば五秒。タカヒトさんが俺が出た直後に噂を流したとして、それが夏舟に渡り、更に渡部に伝わるのにどれだけかかる?
「……夏舟」
「何だ」
「次に噂が回ってきたら……ゆっくり十秒くらいかけて回せ」
 結局これが一番の安全策……。さすがに、十秒も間があれば連絡室を走り抜けることができるはずだ。
「わかった。俺への指示はそれだけか?」
「あぁ。それ以上余計なことはするな」
 大丈夫、向こうから戻ってくるときはYの木下に同じようにそう言い含めておけばいい。
 俺はこうして即席の安全装置を設けると、Tのタカヒトさんの部屋へと移動した。

「どうしたの。随分焦ってるように見えるけど」
 タカヒトさんはVの部屋から戻ってきた俺を見るとそう言った。どことなくその視線に不安と心遣いが感じられるが、気取られてはいけない、こいつは筆頭犯人候補の片方なんだ。
「気にするな。それより、さっき回ってきた噂を言え」
「……わかったわ。長い文章だったから、もしかしたらどこか間違えてるかもしれないけど、許してくれるわよね。《永久の奇跡に捧げる聖杯は秘境に魔法使いを呼び古の劫火が大陸を舐める》よ」
「随分とはっきり覚えているもんだな」
「回した後、記憶を頼りに何度も心の中で復唱していたの」
 なるほどな。
 さて、夏舟の証言は《永遠の奇跡に捧げる聖杯は秘境に魔法使いを呼び古の炎が大陸を舐める》。俺は記憶力には自信があるのだ。これとタカヒトさんの証言とで違っているのは……《永久》が《永遠》、《劫火》が《炎》に、といったところか。間違いが多すぎる。夏舟の改変が役に立っているといいが……。これだけを見ても、「言い間違い」の可能性は十分に通り得る。ったく……駄目だ、惑わされるな。言い間違えたと言った奴が怪しいことには変わりはないんだ。例え本当に間違いが入り込む余地があるとしても……容疑者に対する信頼度は動くはずだ。
 さて、これから門を抜けて連絡室を走り抜けるわけだ。とにかくここを突破しないことには証言が集まらない。俺は念のため、扉を開けてVの部屋を覗いた。夏舟がこちらに気付き、何だ、という目を向けてくる。……よし、まだ噂は流れていないようだ。タカヒトさんが犯人の場合、先ほど俺がこのUの部屋に入るタイミングを見計らって夏舟に噂を流していた可能性を、一応潰しておいた。
 よし、行くか。俺はUの部屋の門をくぐり抜け、走り出した。

 油断をしていた覚えはない。
 ただ、焦りはあっただろう。原因があるとするならそれしか考えられない。

 連絡室の中央を横切ろうとしたとき、突然左の脛に衝撃が走った。
「がっ……ってぇぇっ!」
 意思の床に盛大に倒れこみ、痛みに耐える。くそっ、なー、何をやっているんだ俺はっ!
 あろうことか俺は、見取り図のパネルを支える棒に足を強打し転倒したのだ。嫌な汗が体中に噴出すのを感じる。
 まずい、早く行かなければ!
 俺は痛みを堪えつつも立ち上がり、Xの部屋へと入った。

 どのくらいだ……。
 俺はどのくらいロスをした……? 十秒以上経ってしまっただろうか? いや、まさか……しかし、もしかしたら……もしかしたらそのくらい、そのくらいは床に転がっていたかも……。
 なんという失態……渡部がいなければ怒りに任せて壁を殴っていたところだ。拳が痛いだけだろうから本気は出さないが。
「んぅ? どうしたのかな、元君? 随分とまた、慌てているじゃないか……連絡室で転びでもしたの?」
 渡部の粘度のある声が俺にそう話しかけた。俺は痛みを取り繕って平気なふりをする。
「べ、別に……。それより、ほら、言えよ。何かあったろ」
 渡部は肩を震わせて嫌に上品に笑った。
「クックック……何かあったろ、とはね」
 ……本気でむかつく野郎だ。だがその余裕のある様子からすると新しい噂は流れてきていないらしい。タカヒトさんが噂を流したという可能性はないと見てよさそうだ。危ない、危ないところだった……。
「いいから早く言え。回ってきた噂。あるんだろ」
「ふぅむ……。どっちの噂かな?」
 え……っ!?
「もし……かして、また……?」
 渡部はゆっくりと首を縦に振る。
「あぁ、そうだよ。今君が入ってくる直前にね、噂が流されたんだ。本当に、もうちょっとのところで君は、僕が木下君に噂を流すところに立ち会えたかもしれないのにね」
 なんてことだ……タカヒトさんが俺が出て行くタイミングと同時に噂を流したのか? しかし、夏舟は十秒程度は時間をかけたはずだぞ? いくらなんでも……。
「……一応、僕も証言しておいたほうがいいかな?」
「あぁ、頼む」
「君が元々僕に聞きたかったほうはね、《永遠の奇跡に捧げる聖杯は秘境に魔法使いを呼び古の炎が大陸を舐めない》だね。尤も、あまりに長かったからどこか間違えているかもしれないけど、そこはごめんよう?」
 何がごめんよう? だ。だがまぁそれはおいておいて、とにかく比較してみると、《永遠の》が抜けて、……それだけか。わかりにくいが……これまでの証言からすると、《劫火》と証言したのがタカヒトさんだけ、これは何らかの手がかりになりそうだ。まぁこれも言い間違いの範疇に入るかもしれないが、とっかかりにはなる。
「で、新しい証言のほうは」
「《烏は無音だ》だよ。変な文章だね、どうも」
 まぁ確かにな。犯人がわかったらセンスのなさを蔑んでやりたい。
 それにしても、その新しい烏がどうたらこうたら言う噂はもう一周したんだろうか。だとしたら、誰が退場させられたんだ?
 ……ふと嫌な想像が頭を横切った。
 Yの部屋へ通じる扉に駆け寄り、そのドアノブをひねる。……開かない。
 木下の部屋に通じる道は閉ざされている。つまり、退場させられたのだ。

<四日目>
T■
U→高浜瞳
V 山吹夏舟
W■
X→渡部覚
Y■

「ん、どうしたの? もしかしてその先、行けなくなったのかな?」
 俺は肩を落とし、
「……あぁ。やられたな」
 力なくそう肯定した。
 考えてみればここで木下を退場させるのも当然のことだ。奇跡云々の噂について木下に問い質せば、少なくとも何らかの証拠になる。その証言から、渡部かタカヒトさんか、どちらがより白に近いか判断できたかもしれない。これまでの各証言を比べてみると、
 タカヒトさん《永久の奇跡》《劫火》《舐める》
 夏舟《永遠の奇跡》《炎》《舐める》
 渡部《永遠の奇跡》《炎》《舐めない》
 などの違いがある。
 もし木下の証言の中に《永久の》という言葉があれば、渡部が怪しくなる。逆にその言葉が入っていなければ《永久の》と証言したタカヒトさんが怪しい。また、《炎》と証言すれば《劫火》と証言したタカヒトさんが怪しいし、《劫火》であれば渡部が怪しい。夏舟が改変した《舐める》→《舐めない》も、木下の証言がなければ判断材料にはならない……。
 こう考えると、タカヒトさんと渡部を容疑者として見ている俺には、木下が消された場合、どちらがより怪しいかということに関しては何一つ新しい情報が手に入らないのだ。
 くそっ……! 俺がこけていなければ、こんなことには……! だが、だが犯人はまだ幸運に味方されているほうだ。この状況が全て意図的に作り出されたものではない。俺が付け入る隙はまだあるはず……!
「で、元君はどうするの? 今円環がどんな感じになってるのか知らないけど、僕の部屋は両側が退場になってるから、他の人の部屋に移動するには連絡室を通るしかないよね?」
「……そういういらんことを口にするなと言っただろ。お前の右隣の奴が犯人だった場合、敵に情報を与えることになる」
「まったくぅ……」
 艶かしい吐息と共に渡部は首を左右に振った。
「君はもっと頭を使うべきなんじゃない? 敵に情報を与える、ね。でも少し慎重になりすぎ。もっと能動的に、攻撃的にならなくっちゃ」
「だから黙ってろつってるだろ。考えの邪魔をするなよ」
 渡部を凄みのある声で黙らせた。
 ……とはいえ、俺の中に状況を動かす具体案があるわけでもなかった。正直状況が逼迫していることでかなりの焦りが生じてしまっている。次に噂が回され、それを阻止できなかった場合、俺は何の判断材料も持たずに二択の前に立たされるかもしれないのだ。駄目だ、犯人の優勢を許しておくわけには……。
 考えろ、考えるんだ! 何かあるはずだろ、犯人を指し示す痕跡が! そうだ、俺が今悩まされている状況ってのはつまり、犯人が優勢に立っている、犯人にとって望ましい状況のはず。つまり、多かれ少なかれこの状況には犯人の意図が絡んでいる……それを手繰り寄せるんだ!
 ……本当にさっきの証言の中にヒントはなかったか? あれだけ長い噂だったのに、犯人が断定できないのか? いや、相変わらず怪しい人物は見えている、見えているのだが……。
 ちょっと待てよ……。俺は今、思考のかなりの部分を、「タカヒトさんと渡部のどちらかが犯人」という前提で行っていないか……?
 そう、そりゃそうだ。だって、最初の証言を見てみろ。改変したのはこの二人だ。この局面で噂を改変するなんて、そんなことを身の安全が保障されているただの容疑者が行うか?
 ……いや、そこだ。俺はそこをまず決め付けてしまっている。つまり、噂を改変した中に犯人がいるはず……と……。実際最低一人は行ったのだ。それなら何故、もう一人改変する者が現れると考えない……?
 ありえる。そう、俺は自分で考えていたはずじゃないか。タカヒトさんに渡部、二人ともが“善意の村人”で、偶然の一致の可能性もありえると……! いつしか俺はその可能性を捨てていたのだ。まずないだろうと。だが、そこが犯人の狙い目だとしたら……?
 《奇跡》の噂をもう一度見てみよう。木下やタカヒトさんの聞き間違いで、《炎》が《劫火》に、《舐めない》が《舐める》に変わる可能性……これが完全にないと言いきれるか?
 夏舟が犯人でない可能性がないと……何故言いきれるのだ?
 考えろ、夏舟が犯人である可能性も検討するんだ。そう、確かに重なる偶然は多いかもしれない。だが偶然に保護され、奴が犯人である可能性が見えにくくなっている場合、これも確かに起こり得る……!
 ……最後の噂を考えるんだ。《烏は無音だ》。あのときの感覚を思い出せ。俺が転んで立ち上がり、駆け抜けるのには……やはり、十秒以上経っていたとは思えない。タカヒトさんが犯人だとしたら夏舟はしっかり十秒待って渡辺に噂を送ったはずだ。それなのに、この部屋、Xの門を俺がくぐったとき、既に噂はここを通り過ぎていたという。
 そう、考えてみればあのとき、夏舟もまた俺がUの部屋を飛び出すタイミングを知ることができた。タカヒトさんの部屋の物音は聞こえていたのだから、門の開閉音も当然筒抜けだ。
 《烏は無音だ》。そう考えるとあの噂の言葉があんなに短い理由もわかる気がする。わざと短い文章を選び、タカヒトさんが流したとしても渡部の部屋まで届いたかのように見せかけている……!
「これは……決まり、か……?」
 俺がUの部屋を出るタイミングを知り得たのがタカヒトさんと夏舟だけであること。そして、夏舟に言いつけた、十秒の縛り……。そして俺の体感時間。そうだ、それこそが証拠。俺自身の感覚を信じるなら、犯人は……!

「にしても板東も間抜けだよねー。ズタボロじゃんさっきから」
「でも難しいですよ、これ……。僕が探偵役だったら、負けてたかもしれないです」
「うん、そうだね。確率的には、犯人が圧倒的に分が悪いんだけど……犯人がミスをしなければ、探偵役は、かなり辛い……かもしれない」
 退場させられた元容疑者の面々はモニタールームの片隅で茶菓子を摘みながらそんな談笑を繰り広げていた。暢気なものである。
「君達、少しの間黙っていてくれないかい?」
 ポニー坂本が彼らのほうを見、そう言った。燈紀が、ごめんなさい、と縮こまる。
「いや、寛いでもらう分には構わないのだけどね。どうやら板東君が連絡室に出てきたようなんだ」
 モニターを見つめるポニーは、観戦者として楽しんでいるらしくどこまでも自然な微笑を浮かべていた。
「容疑者の数はまだ三人だけど、もう結論を出せたのかな? さて、どうだろうね……?」
 カメラの前に構えた奥が通話ボタンを押すと、彼の目の前にあるモニターに板東の顔が映し出された。
「どうした。その様子だと、答えを出したようだな」
『はい』
 板東はモニター越しに真っ直ぐに奥の目を見ている。もう自分の回答に迷いはないようだった。
「いいだろう。言ってみろ」
『わかりました。犯人は──』
 モニタールームに緊張が走る。既に答えを知っている退場者達も奥も、板東の次の言葉を固唾を呑んで待っていた。
『山吹夏舟です』

「犯人は山吹夏舟です」
 さぁ、どうだ……?
 奥先生の表情は動かない。相変わらず険しい視線が画面越しに俺を射抜いている。どうなんだ、早く言えよ!
『それが、お前が出した結論か……?』
 奥先生は重々しく尋ねた。くどいな、今更。しかし確認は必要だ。
 俺は深呼吸して気合を入れなおすために一度下を向いた。そして──凍りつく。
 ……なんだ、これはっ……!?
「ち、が……います……」
 声を搾り出すように言う。
「今のは……嘘、です。冗談です」
 奥先生は顔色一つ変えずに頷くと、
『そうか。じゃぁもう少しだけ頑張れ』
 と言い捨てると、モニターから消え去った。
 俺は震える手で見取り図のパネルに触れる。夏舟がいたVの部屋のランプが消えていた。彼は犯人ではなかったのだ。
 ──危ねぇっ……!
 あと少しで、俺は自らの首を切り飛ばしていたところだった……。そう、ぎりぎりのところで助かった。助かった……のか?
 俺が夏舟と答えようとしていることを知らず、犯人は夏舟を消した……。それはその通りだろう。そのタイミングに限り、俺は幸運だったと言える。
 だが、今陥ったこの状況は……そうだ。ついに二択になってしまったのだ。タカヒトさんか、それとも渡部か……。
 ようやくはっきりと目の前に現れた、片や生還、片や処刑の選択肢。
 心臓が大きく跳ね上がるのを感じる。
 まずい……。
 この期に及んで……どちらかが犯人であるという確信に至る証拠を、俺は何一つ持ち合わせていない……!

 俺がその部屋に入ると、部屋の中央の椅子に拘束されていた女が凛とした眼差しで俺を見た。
「証言するわ。《烏は無言だ》、次に《傍迷惑な信念は世界を揺るがす》が回されてきたわ……犯人であり裏切り者である渡部からね」
 タカヒトさんは迷いなくそう断言した。当然のこと俺はそれを手放しに信用する気はない。
 彼女の証言はまず役に立たないだろう。となれば俺はもう、彼女への信頼度で判断するしかないのか? 彼女が嘘をついているか、否か……。
 印象だけで言えば、断然彼女のほうが信頼度は上だ。というか渡部と比べると大抵の人間は信頼できるように見える。だが、見えるだけ、なのだ。彼女が胸の内にどんな悪意を抱いていたとしても、俺には判断する術がない。
「板東君、どうしたの? 黙りこんで」
 黙りこみもする。正直、五里霧中なのだ。人としての信頼度には差があっても、それを頼りにすることはできない。それだけは、それだけはしてはならない。かといって他に頼める理も見当たらない。これまでの進行から導き出される犯人である確率は……彼女と渡部にさほどの差はない。
「黙ってないで何か言いなさい!」
 激しい叱咤に俺は思わずびくりと肩を震わせる。……畜生、これじゃ俺が先生にしかられる無能なガキのようなものじゃないか。無能というのはあっているかもしれないが。
「板東君。あなた、自分の立場がわかっていないの?」
「んなもんわかってる! お前か渡部の二択、間違えたら処刑されるのは俺、あぁもう最悪に不幸な立場だな!」
 半ばやけになってそう言い捨てた俺に、タカヒトさんは心から蔑むような視線を浴びせた。
「わかっていないじゃない。あなたは私達の代表として裏切り者を裁かなければならない立場にいるのよ? それなのに自分の身の安全のことしか考えられないなんて……」
 うるさいな……。自分はその身の安全が保障された立場から物を言っているくせに……。
 ん……? 俺は今、こいつを明らかに白として扱っていなかったか……?
 彼女に背を向け、門の前に立つ。
「ちょっと、まだ話は終わっていないわ!」
「終わったよ」
 いや、ここで終わらせなければならないんだ。
「これ以上お前の話を聞いていても得はない。追い詰められてまともな考えができなくなるだけだ」
 彼女への信頼度が上がるにつれ、これは罠かもしれないという不安も募っていく。この先何を彼女に言われたところで、どちらかがどちらかを上回るということはないだろう。
 背後でタカヒトさんが俺を止めようと何か言っていたが、彼女の声を振り切るようにして俺は連絡室へと出て行った。

 気付けば残り時間は十分。ここで決めなければ、俺も犯人も処刑となる。犯人も焦っているはずだ。なら、何か尻尾を出す可能性はある……。
 俺はXの部屋──渡部の前へとやってきた。そして証言を要求する。
「言ってくれ。さっき俺が出て行った後、どんな噂が流された?」
 渡部は相変わらず薄ら笑いを浮かべたまま答える。
「《傍迷惑な信念は世界を揺るがす》だよ。よくわからない言葉だね?」
 この声を聞き、この顔を見るたびに不信感が高まっていく……だがそれはこいつの元からの性格なのかもしれない。
 そうだ、あれだけ証拠が揃っていたかに見えた夏舟も犯人ではなかったのだ。一切の印象は役に立たない。探さなければ。犯人を断定する論理を……!
「それで、元君は正直どう思っているの? 僕とタカヒトさん、どっちが犯人だって」
「……答えられん」
「そう? じゃぁ、どっちが犯人寄りか、って質問ならどう?」
 くっ……どこまでも人を小馬鹿にしたような物言いをしやがって……。だが逆に考えろ、犯人だったらこんなに余裕ぶっていられるか? しかしそれも演技の可能性を考えると……あぁ駄目だ! これも論理とは程遠い!
「……わからん」
 正直なところを答えた。最早かける鎌も持ち合わせていない。
「それは困ったね? でもそしたら……僕に聞くことは、もうないの?」
 そうなのか……? まだ何かこいつから引き出せるような情報は……。いや、ない。あるかもしれないが、仮にこいつが犯人だとしたら、今引き出す情報は全て俺の思考を間違った方向へ導くものになるはず。それはタカヒトさんとて同じことだ。もう何も信用できない……。そうだ、俺は一人で考えなければならない。
「ないな。……残り時間も少ない。俺は一人で考える」
 ゆっくりと門の前まで歩いていき、部屋を出て行く。渡部が最後に「頑張ってね」と声をかけてきたが、俺は振り返らなかった。あいつの顔はもう見たくない。

 さて……。
 これが本当に最後の決断だ。残り時間は五分。余裕はない、だが確証もない。ったく、何なんだよ、この選択……!
 何も考えない奴ならここで博打に出るかもしれない。だがコイントスに生死を賭けられるほど俺は図太くない。人間観察に自信のある奴なら印象を頼りに決めるだろう。だが俺は俺自身の人を見る目を信じていない。
 俺が信頼できるのは俺自身が築いた論理だけだ。しかしその論理から導き出した回答で、俺は先ほど危うく死ぬところだった。
「ったく……!」
 だん、と壁を殴る。拳が痛んだが思ったより気にならなかった。
 何を凹んでいるんだ、俺はっ! 築いた論理が間違っていたことが証明されたのなら、そこから新たな論理を導き出していけばいいだけのこと! 考えろ、考えるんだ……! 何か見えるはずだ、失敗にこそ何らかの糸口が……。
 あのとき、俺は夏舟が犯人であると確信していた。その論理の最初の前提が、俺が部屋を出るタイミングを知りえたのは夏舟とタカヒトさんだけだというものだ。だが偶然ということを考えるのなら、渡部にも噂流しは行えたはず……。
 待て、偶然、だと? さっき俺はそれで痛い目を見たじゃないか! 夏舟が犯人である可能性は、数々の偶然の下に生じると、今思えば無茶苦茶な理屈で……! そうだ、可能性を計算するんだ。渡部に果たして噂流しが行えたか? 扉のある部屋にいた渡部が、何故どこにいるかもわからない俺の動きを気にせずに噂を流そうと思う? そんなものは、Xの部屋から俺が出て行くときにタイミングを見て行えばいいだけのこと。そう、その時点でまず可能性は低い。更にそのタイミングが俺がUの部屋を出たのと丁度重なるという偶然、これが重なれば更に可能性は落ち込む!
 犯人であれば身の安全を第一に考えるはず。これは人間として当然のこと、疑う必要のない前提だ。そうでなかったら早々に犯人だと宣言していればいい。とにかく犯人は生き残りたいはずなのだ。ならそうそう無茶はできない。俺が連絡室に入るタイミングについて何のヒントも無しに噂を流したりなど……!
 だがタカヒトさんはどうだ? あのとき、タカヒトさんは俺が夏舟に十秒かけて噂を伝えろと言っているとは知らなかったはずだ。だとしたら、俺が連絡室に行く直後の時間は絶好のチャンス……そうだ。俺の転倒という予想外のハプニングによって、俺が夏舟に行わせた十秒のラグは解消されてしまった。あのときの体感時間など、もう何の証拠にもならない。頼るのはあくまでも理論……これしかない!
『板東。あと一分だが、結論は出たか』
 モニターに現れた奥先生がそう告げた。
 総合的に見て考えろ。タカヒトさんか渡部のどちらがより黒に近いか。……覚悟を決めるんだ。
 俺はモニターの前に立ち、震える口を開いた。

「タカヒトさん──高浜瞳が、犯人です。これが俺の……最終回答です」

 モニタールームの空気が弛緩していく。
 ポニー坂本は首を竦め、退場連中は肩の力を抜いてため息をついた。その中で夏舟だけは含み笑いを浮かべている。
「夏舟さー」
 燈紀がこっそりと夏舟に話しかけた。
「あんた本当は気付いてたんじゃないの? 犯人が誰か」
 夏舟は、何のことだよ、と惚けてみせる。
「別に、俺が気付いていたからつっても板東に知らせる手段はなかっただろ? だから、仕方ねーんだよ、こりゃぁな」
「あー板東。大変言いにくいんだが」
 モニターに向かう奥は渋い顔をして板東にそう言った。
「そいつ犯人と違うぞ。お前」
 暫しの沈黙の後、モニターの中の板東がその場に崩れ落ちるのが見え、
「もう駄目だなこいつ」
 奥はふん、と鼻を鳴らしてモニターの電源を切った。

『板東元の回答は、高浜瞳。高浜瞳が犯人だと答えた。……つまり、不正解。渡部、お前の勝ちだ。これにより板東を処刑リストに加え、渡部を解放する』
 ヘッドホンから流れてきた奥先生のアナウンスを聞いて、タカヒトは短いため息を吐いた。
「もう……なんでこんなことが……」
 呟く声の張りには辛うじて気丈さが残っていたが、俯いた彼女の顔には辛辣な表情が浮かんでいた。元々が義に厚い彼女は、渡部という悪意が生き残り板東が散るというこの結末に憤りを禁じ得なかったのだった。僅かばかり悔しげに目を細める。
「……渡部。聞いているんでしょう。渡部っ」
 誰もいないUの部屋で、タカヒトはそう呼びかけた。このゲームの勝者、渡部覚に。
 数秒の間の後、
『クックック……』
 という押し殺した笑いがヘッドホンから聞こえてくる。渡部の、艶やかな声色がタカヒトの耳に不快感をもたらす。
『お疲れ様、タカヒトさん? 元君、負けちゃったね? ざぁんねん』
 嘲るような渡部の言葉に、くっ、とタカヒトは奥歯を噛み締めた。
 渡部はそんなタカヒトの様子が目に見えているかのように、でもね、と言葉を続ける。
『元君が負けちゃったの、タカヒトさんにもちょっとは責任あるかもよ?』
「どういう意味……?」
 怪訝そうに眉を顰めるタカヒト。しかし彼女にも薄々思い当たる節はあった。
 板東が解くことができなかった渡部が犯人である可能性を彼女が示唆していれば、板東は間違いを犯さなかったかもしれない。しかし板東は情報の開示を抑え、一人で考え込もうとした。
 いや、それ以前に、最初の噂をタカヒトが改変していなければ、板東が余計な疑念に囚われることもなかったかもしれない。その意味ではタカヒトが戦犯であるとも言える。
『そうだね、元君はあぁいう性格だからって、ね? タカヒトさん、君が必死に白をアピールするのは逆効果だったんだよ。元君は自分で考え導き出した答えでないと納得できないんだ、元々ね。それが仇になったようだけど』
「……あなたがそこを狙い撃ったのでしょう」
 またクックックという笑みが漏れ聞こえる。
 そう、渡部は板東の性格、その思考の癖を見抜いていた。他人の挙動、印象を決して考える手がかりにしない。序盤であからさまに怪しい言動を行う人物がいると、大抵の読者はその人物を犯人から外して考えようとする。この作法もこれを逆手に取った技法も古くから存在するが、こと板東はその傾向が強いのだ。それが強すぎるがために、身の潔白を激しく主張するタカヒトのことを無意識に犯人だと決め付けてしまっていた。それは彼が確かな事実を元に築き上げたと信じる論理にも確実に影響を及ぼす。
「だからあなたは、板東君にあなたに関する情報を与えなかった。……彼が心のうちで私を犯人と決め付け、適当にそれらしい根拠を見つけて自滅するのを待つために……そういうことね」
『そうかな? そうかもね。でも、ただ単に苦悩する元君の姿が見たかっただけかもしれないよ?』
 タカヒトは彼の言葉に納得した。渡部は板東が苦しむ姿を見たかったのだ。だから彼がほぼ夏舟にあたりをつけていたことを知りながらも夏舟を消して見せた……。
「あなたって最悪ね……」
『とんでもない!』
 タカヒトは頭痛に苛まれているような表情になる。
「……ひとつだけ教えてくれる? 木下君を退場させる噂……あなたは、板東君が私の部屋を出て連絡室に行くタイミングを知ることができなかったはず。あのときの噂は、勘で流したの?」
『えぇ? 何を言っているの?』
 渡部は愉快そうにひとしきり笑った後、完全に人を見下した声で言う。
『板東君はタカヒトさん、君のことも疑って慎重になってたでしょ? だから夏舟君の部屋からタカヒトさんの部屋に移った後、もしかしたら今タカヒトさんから夏舟君に噂が回されたかもしれないと考えた。だから、確認のために一度夏舟君の部屋を覗いた』
 タカヒトははっとして顔を上げた。
「……っ! そういうことだったの……」
『そうだよ? 簡単なことじゃないか、こんなの』
 渡部は推測したのだ。彼にはタカヒトの部屋で行われている会話を聞くことはできなかった。だが、板東が不安になって夏舟の部屋を覗いた、その扉の開閉音は彼のヘッドホンから聞こえていたのだ。板東の心理状況を完全に把握していた彼からしてみれば、そのことから板東が連絡室へ出るタイミングを推測するのは容易い。後は板東が連絡室を抜けてXの部屋へ来たとき、適当に会話を繋げつつ噂が部屋に還ってくるのを待つだけでいい。板東はヘッドホンから流れてくる音声を聞いていないのだから、渡部が申告しなければいつ噂が一周したのか板東が知るすべはない……。
「愚かだったわ。本当に」
 呟くタカヒトの耳元で、渡部の密やかな笑いが響く。
『そうかな? 元君もそれなりに頑張ったと思うよ? 噂を改変させるのは良い手だったしね』
 タカヒトは力なく項垂れた。
 部屋の集音マイクに拾われない程度の小声で呟く。
「私が、よ……」


 目隠しが外されると、目の前には闇が広がっていた。
 両手両足は椅子に拘束されている。……なるほど、なかなかきついな。部屋はそれほど狭くないはずだが、あまりここで拘束されたまま長い時間を過ごしたくはないものだ。
 早く終わらせたい。そうだ、早く終わらせる。
 頭に装着されたヘッドホンは思ったよりも重い。今は何も聞こえてこないが、既に電源は入っているはずだ。
 やがて、部屋の唯一の光源である頭上の電球に明かりが点された。いよいよ始まるというわけか。
 まさか、こんなことになろうとはな。
 最終回答を誤り、一度は死を覚悟した俺だったが、奥先生に対する必死の訴えでどうにか生き残るチャンスをもぎ取った。そう……今度は犯人役としてこの円環に入れられることになったのだ。
 というか、冷静に考えてみるとこの状況って……。
 もし俺がこの勝負に勝ったとして、負けた探偵役は即処刑になるのだろうか。仮にそいつにももう一度チャンスが与えられるのだとしたら。そいつが次は犯人役となって、またこの円環の中に……。
 なんだかやる気が失せてきた。なんだこの悪循環は。
 天井の電燈を見上げてため息をつく。
 やがて目の前の門が開き、新たな探偵が俺の目の前に姿を現した。逆光でよく顔が見えないが、誰にせよかわいそうな奴だ。だが俺も手を抜くわけには行かない。
 もう俺のほうもうだうだ考えていても仕方ない。やるしかないんだ。

 そして、悪意の円環は再び動き出した。新たな犠牲者を巻き込みながら……。


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