俺の名前は板東元。そこらへんにいる男子高校生だ。それ以外の肩書きは特にない。しいて挙げるとすれば数学係だ。
 さて、今俺がいる状況を簡単に説明する。頭上で突如低い轟音がし、肌に触れる空気が豪快に震える。ただでさえやかましい夕刻の駅前に騒音を振りまいていった在来線は、すぐに妙な余韻を残して過ぎ去っていった。
「……たんだけど、どうもそれが……って、ねぇ。ちょっと、板東!」
 隣を歩いていたクラスメイトに呼びかけられたことに気付く。どうも電車の音で、彼が何を話していたか聞き逃してしまったらしい。
「あー、悪い。何だっけ。その霊能力者が?」
 彼は、そうそう、と俺の言葉を受けて話し出す。
「俺の親の知り合いもさ、何か元々重い病気だったんだけど、見てもらったんだって。その人に。そしたら、何か……何だっけな、えっと、そう! その人の守護霊は亀の霊だって言われて……」
 意気揚々と霊能力者の話を続けるこいつは、阿柄由々彦という覚えやすいんだか覚えにくいんだかよくわからない名の男子生徒だ。小柄で愛嬌があるというか、特別何かに秀でているわけではないが人当たりの良い奴だ。変に人が良くて、クラスじゃよく他の連中(まぁたまに俺も入るが)にいじられたりしている。なのにうちの高校の生徒会長だったりするから謎だ。
「亀の霊、なぁ。まぁ何か長生きはできそうだな」
「あっいや、その人去年の暮れに死んじゃったらしいんだけど」
「見てもらった意味あったのか、それ」
 まぁ守護するのも限界ってのはあるよな。俺は軽くため息をつく。
「……なんか板東、テンション低くない?」
「そらな。あんまそういうの信じないし」
「あ、そう。でも、じゃぁよく来る気になったね」
 阿柄はしれっとそう言ってのける。俺はため息混じりに阿柄の鞄に自分の鞄を軽くぶつけた。
「お前なぁ。お前が来いっつったから来てんだろ。……あ、ってか言い忘れてたけど、金取られるんだったら後ろで見てるから。一人で行って」
「あ、あぁ……はい」
「……ん、怖いとかそんなんか」
「いや別に」
 阿柄は近頃よく噂で聞く霊能力者とやらに興味を持ったらしく、真っ直ぐ家に帰ろうとしていた俺に、一緒に突撃しようと持ちかけてきたのだ。どうせ一人で行く勇気がなくて、適当に暇そうにしていた俺を見繕って声をかけたのだろう。まぁ実際急いでやるようなこともなかったのだが。
 というわけで、俺は阿柄に連れられてその霊能力者が出没するという駅前までやってきたのだ。
「えっとぉ……ここなんだけど、……ねぇ?」
 阿柄は首を傾げて俺を見る。何も知らねぇよ俺は。
 そこは駅舎の傍らにあった人気のないコインロッカー室だった。まぁ室というか、パッと見路地裏と大差ないような吹きさらしの場所だ。その壁際に、粗大ゴミのように無造作にコインロッカーが並べられている。
「つーかこんなところこの駅にあったんだなー」
 少し得した気分になって俺は呟いた。すると突然背後から
「そうそう。知らなかったでしょ」
 妙にはきはきとした女性の声がかけられた。隣にいる阿柄がどんな感想を抱いたかは知らないが、俺は面倒そうだなと心のどこかで予感した。
 振り返れば案の定そこには色んな意味で面倒そうな風貌の女性が立っていた。よく魔術師とかが着ていそうな(リアルで魔術師を見たことはないが)紫色のゆったりとしたローブを羽織っており、そのすぐ下にキャミソールと丈の短いジーンズという、露出度が高いんだか低いんだかわからないような衣装に加え、同色のフードの上からクリスマスリースのような謎の木製の円環を頭に装着している。一言で言うなら、霊能力者というより占い師風の出で立ちの女だった。これが男だったら変態の露出狂にしか見えなかっただろうが。あるいはこいつもそうなのか。
「あ、あのー」
 阿柄が緊張と若干の期待の篭った声で話しかけようとするが、女はそれを遮り、にこりと俺たちに微笑みかけた。
「その後ろにいる人たちと、お話してみたい?」
「はい!」
 阿柄が元気良く返事をする。
「……おい、ちょっと」
 少しは不気味とは思わないのか。不気味と言うか胡散臭いと言うか。
 阿柄の脇をさりげなく小突いた俺に、怪しい女の視線が向けられる。あからさまに面倒くさそうな視線を返してやったが女はそれを意に介した風もなく、
「じゃそっちの君で」
 と俺を指差して言った。
「は」
「あ、お金? 大丈夫大丈夫、最初は安くしておくから」
 女は、……俺にとっては何だか違和感のある表現になるが、屈託のない笑顔を浮かべて俺に近づいてくる。話し方に癖はないのだが、何となくこの声色を聞いていると俺の苦手なタイプのような気がしてくる。
「さて、……そう、私は珊瑚。今話題の、駅前の霊能力者ってね。じゃ、ちゃっちゃか始めよっか、ね?」
 彼女が歩くと揺れたローブの下から彼女の白い素肌が覗いた。はっとして無意識に下がっていた視線を戻すと、彼女は俺の反応に気づいていたらしく、さりげなくローブで胸元を隠す。
 そして、俺のほうを見てくすくすと笑った。
「……何だよ」
「だって、今すっごい残念そうな顔したもん」
「なっ……! だ、誰が」
 焦って顔をそむけてしまう。おいおい、意識しすぎだろ俺。だからこういうあけすけした奴は苦手なんだ。
「君かわいいねー。みんな君みたいに素直だったら世の中もうちょっと渡りやすくなるんだけどなぁ」
 珊瑚は同意を求めるように阿柄に微笑みかけた。こいつ、完全に俺の事を見下してやがる。

 俺の名前は板東元。田舎なのか都会なのかよくわからないような郊外のニュータウンに住む小学生だ。まぁ、つっても今は夏休みだから、小学校へは行かない。その代わり好きに遊びまわろうか、とはならないのが夏の悲しいところだ。
 クラスのほかの連中は大体が田舎に帰ったりで、仲の良さから言ったら何か微妙な間柄の奴らしか残っていない。それでもまぁ、いないよりかはましか、と思い、何となく阿柄という奴と待ち合わせて近所の神社へ行くことにした。近所といえば近所なのだが、あまりここを遊び場にしたという記憶はない。まぁ行ってみれば何かあるだろ、程度のノリだった。
「へー。元君、頭いいね」
 阿柄がそう言ったのは、俺がこの神社の由来について聞きかじった知識を披露したからだった。こいつとはそれほど仲が良かったわけではないが、まぁ、特に誰がよかったとかそういうこともなし。
「別に、親に聞いただけで……。てかその元君ってやめね? 板東って呼んでもらったほうが楽なんだけど。気が」
 特に理由はないが、ハジメという響きはあまり自分の名前のような気がしない。
「じゃぁ板東君」
「君もやめ、変な感じがする」
「そう?」
「え、何か多分」
 君づけは別にいいか。でも何となく板東は呼び捨てのほうが響きがいい。
「ねー、左さん。板東君って、板東君でいいよね?」
「ん? さぁ、いいんじゃない」
 ぶっきらぼうにそう答えたのは、左蓬麟という、苗字と名前で漢字のレベルが違いすぎるクラスメイトの女の子だった。ひだり、ほうりんと読むのだそうだ。下の名前は本人もまだ漢字で書けないらしい。
「てか、蓬麟って呼んでいいか?」
 俺が尋ねると、蓬麟は、あぁ? と面倒そうな目をこちらへ向ける。
「いや、左って何か名前っぽくない気がして」
 蓬麟は「好きにすれば」とだけ言って俺から目を離す。
 彼女は別に待ち合わせをしていたわけではない。というか今初めて喋った。神社に来る途中、やはり暇そうにぶらぶらと道を歩いていた彼女に阿柄が声をかけ、彼女も特に目的があって行動していたわけではないらしく、暇潰しに、と俺たちについてきたのだった。
「で、えーと。どこまで言ったっけ」
「あれだよ板東君。昔の偉い人が、よくここに来てたって」
「あーそうだったっけ。てかそれもう最後じゃん。これ以上話すことないわ」
 何でもこの神社、規模はそれほどでもないがかなり古くからあるものなんだそうだ。見た感じどこにでもあるようなぼろい鳥居と小さな社があるだけのちゃちい造りだが、その昔、ここには神の言葉を告げるとかいう霊能力者が居座っていて、為政者やら資産家やらに神の言葉を告げては金を巻き上げていたらしい。そういう伝説のおかげで、周囲がすっかり住宅地に開発されてしまったにもかかわらずこの神社はこの街に未だに残されているのだ。
「まぁ、で、来てみたは良いけど……やっぱ遊び場って雰囲気じゃないな」
 改めて境内を見渡す。非常に狭い。
「こいつも……」
 中心にある社も、大きさはイナバの物置程度だが百人乗ったら確実に潰れるようなレベルだ。……何だその例え。口にしたら、何か上手い例えを披露しようとして失敗した感じなりそうだったから黙っておく。
「いいじゃん、ちょっと奥行ってみようよ」
 阿柄はそう言って鳥居をくぐり、社のほうへ歩いていく。奥とっても走ったら鳥居から五秒程度で端まで到達してしまうほど手狭なのだが。
「……蓬麟、どうする?」
 後ろからついてきていた蓬麟を振り返ると、彼女は鳥居の前で立ち止まり
「……」
 妙な目でこの小さな神社を眺めていた。
「おい」
「あ?」
 呼びかければだるそうにこちらへ視線を寄越すが、俺が黙っているとすぐにまた神社へ視線を戻した。何だろう。楽しそうでないことだけは確かだが、……この場所に嫌な思い出でもあるのだろうか。
 と、社のほうから阿柄の声がした。
「あ、……こ、んにちはー」
 続いて聞き覚えのない若い女性の声。
「うん、こんにちは。どうしたの? ここ、ぼくたちの遊び場だったりする?」
「えっと、そういうわけじゃないんだけど……」
「ふーん。じゃぁ、もしかして神様のお告げを聞きに来たのかな?」
 気になって近づいてみると、社の陰に一人の女が立っているのが見えた。女も俺に気付き、友達? と阿柄に尋ねる。阿柄は曖昧に頷いた。
 俺たちより年上なのは確かだったが、大人というにはまだ若いような印象を受ける。
「あのー、神様の、お告げって……」
 阿柄がよせばいいのに女の話を受けて尋ねた。女は自信ありげにうんうんと頷く。
「そう、やっぱり興味あるよね、うん。聞いたことない? この神社、すっごい昔から、ある神様が住み着いてるの。その神様に聞くと色んなことがわかるんだよ。そうねー、ぼく、何か知りたいこととかない?」
 じゃり、と隣で靴が砂を擦る音がした。そっと蓬麟のほうを見やる。今度は彼女はあからさまに不快感を顔に出して睨むように女と社を見ていた。そしてくるりと神社へ背を向けると、俺には何も言わずにすたすたと石段を降りてどこかへ去ってしまった。
「あー逃げられちゃったか」
 女は珊瑚に気付いて、失敗失敗と頬を掻いた。そして俺に向かって手招きをする。
「そこのぼくもこっち来なよ。あ、私、珊瑚っていうの。この神社の噂聞いてね。割と遠いところから来たんだよ」

 俺の名前は板東元。肩書きをフルで言うととても面倒というか俺自身覚えきっていないため、簡単に短く自己紹介をすると、まぁ、今世紀初頭に月面に建造された何番目かの月面基地で働く職員だ。
 月面に基地がぽこぽこ建造されたといっても別にそこに永住する奴はまだいない。まぁ月への人類の移住ってのを目指している節もあるんだろうが、それはまだどの国にとっても夢のまた夢だ。これらの基地の目的は専ら研究、月面の開発、あと一部で軍事、といったところで、じゃぁ俺は何に従事しているのかというと、その何れでもない。
 通称、情報管制センター。その通信課に俺は所属し、祖国の基地内での情報の流れを制御したり、地球との通信を担当する。早い話がオペレーター兼エンジニアってところだ。
 まぁ、対して大きな部署でもないため、基本的には情報管制室で一人、文件を整理したり基地職員のメールボックスのメンテナンスをしたりする、単調で眠くなるような仕事をしている。今日もそんな感じで情報管制室に閉じこもってコンソールをぼんやりといじっていたのだが。
「さーて。そろそろいいかなー」
「あ、お邪魔しまーす」
 背後の扉が空気の抜ける音と共に開き、二人分の足音が管制室に入ってきた。またあいつらだ。俺は手を休め、椅子を回転させて振り返る。
「で、えっと……珊瑚さん、今日あたり、なんですよね」
「うん。期待してて、絶対届いてるから」
 部屋に入ってきたのは共にこの基地の制服を着た男女だった。
 一人は俺と同年代の小柄な男、阿柄由々彦だ。やたらと腰が低く大して仕事も出来そうにないような雰囲気のある奴だが、何故かこの基地の管理責任者という地位についている。何故そんな地位につくことが出来たのかは果てしなく謎だ。
 もう一人は珊瑚という名の女だった。苗字はよく知らない。勿論この基地の職員だが、どの部署で働いているのかも不詳だ。が、基地内では彼女はかなりの有名人だ。何故かというと。
「ほら板東君、あれ見せてよ。例のメールボックス」
 珊瑚はそう言い、俺の椅子をくるっと回して俺の体をコンソールに向けた。
「……一応言っておきますけど、今俺仕事中なんですよ」
「またまた。暇なくせに」
「つーかあなた方がちょくちょく邪魔するから仕事が溜まってるんですよ」
「ん、じゃちょっとメールボックス見せてもらうだけで良いから。そろそろ来てるだろうから、それ確認だけさせて」
「来てるって何がですか」
 まぁ察しはついているが。
「だから、言ってるじゃん。宇宙人からのメール」
「……宇宙人ですか」
 俺がそう言うと珊瑚は「そう」とにこやかに頷いて見せた。本気なのか冗談なのかわからない。どちらとも取れるから底が知れない。
 彼女は、言ってみれば基地内に密かに広まりつつある新興宗教の教祖のような存在だった。まぁ宗教というと表現がちょっとあれか。具体的に言うと、宇宙人とコンタクトを取っていると吹聴して回っているのだ。彼女の態度がそもそも冗談めかしたものなので、多くの職員はそれを冗談だと受け取っているようだが、どうやら本気で彼女の言葉を信じているらしい奴もたまにいる。阿柄はその一人だった。
 聞くところによると他所の基地にも珊瑚と宇宙人の噂は広がっているらしく、その繋がりは名前こそないものの彼女を中心として広がる国境を越えた団結を得ているらしい。
「ほら、早く。もし急用だったらどうするの」
 宇宙人の急用ってお前。本当にどうするんだよそんなの来たら。
「……わかりましたよ」
 俺が観念してコンソールを操作すると、俺の目の前に広がる大きなモニターにずらりとメールボックスの一覧が並んだ。職員個人宛てのものや各部署へ宛てたものなど、画面に並ぶメールボックスはそれぞれ様々な用途が記されている。その中に一つだけ、用途が書かれていない空白のメールボックスがあった。一応俺が管理していることになっているこれは宇宙人と通信するためのアドレスだ。ちなみにアカウント名は「人類」となっている。
「あ、ほら届いてるよ、これ」
 パスワードを入力してメールボックスを開くと、確かにそこには一通のメールが届いていた。差出人は不明。宛先はここ情報管制室。タイトルはない。
 これこそ、今ここ月でごく静かなブームとなっている、宇宙人からのメールなんだそうだ。

[二年四組コインシデンタル]

 翌朝、珊瑚が神社を覗いてみると、そこには昨日彼女と出会った三人の子どものうちの一人の姿があった。珊瑚は昨日子ども達に自己紹介をしたが、女の子は一人で先に帰り、友好的だった男の子ももう一人の男の子に腕を引っ張られてすぐに神社から去っていった。
 そりゃ怪しまれても当然か、と昨日を思い出した彼女は苦笑した。その朝神社へ来ていたその少年──最初に彼女が出会った小柄な男の子だ──に声をかけるかかけまいか迷っていると、先にその少年が彼女に気付き、おはようございます、と礼儀正しく頭を下げて挨拶した。
「うん、おはよ。朝早いねー。えらいえらい」
 珊瑚はひらひらと手を振って挨拶を返した。
「あ、いや、その……」
 言葉を濁す少年を見、珊瑚は徐に彼に顔を寄せた。
「もしかして、神様とお話してみたかった?」
 吐息がかかるほどに近づいた年上の女性を前に、少年は急にどぎまぎしながら
「そう、なんです、けど」
 と言って俯いた。珊瑚はそんな少年の反応に満足したのかにんまりと微笑む。
「そういえばぼくの……あ、ん、君の名前聞いてなかったね」
「あ、はい。俺、阿柄由々彦っていいます」
「ふーん。個性的な名前ね、結構」
 珊瑚はそう言いながら境内を歩く。早朝の神社には彼女ら二人の他に人影はなく、朝方の薄い風が枝葉を広げる梢を鳴らして通り過ぎていく。
「ここの神様はね」
 珊瑚は社の縁に腰を下ろし、阿柄に向き直って話す。
「色々逸話があって。いろんな人がここに相談に来ていたんだけど、この神様がまた随分節操のない……あ、気の良い、って意味ね。来た人全ての相談に答えていたものだから、そのうち無闇やたらと人が集まるようになってきて」
 浮かせた両足をぶらぶらと揺らしながら、珊瑚はその背後に建つ小さな社を振り仰ぐ。
「だから、お金を取るようになったんだってさ。どっからか来た、賢い人がね。昔は本殿と拝殿が別になってる程度の大きさはあったんだけど、もう大分廃れちゃって、これしか残ってないみたい。だから今、神様はこの奥にいるの」
「……はぁ」
 阿柄は反応に困っているようだった。仕方ない、と珊瑚は縁から飛び降り、ぽん、と阿柄の肩を叩く。
「ねぇ、何か神様に相談したいこと、あるんでしょ?」
「え、……うん。でも、お金」
「いいんじゃない? 当たり前だけど私は取れないし。昨日聞いてみたら、もうお金とかいいから、って言ってたよ」
 これは事実だ。
「そうなんですか?」
「うん。折角なんだからさ、聞いてみなよ。迷信なら迷信、伝説なら伝説、駄目で元々だと思ってさ」
 珊瑚は膝を折り、阿柄と視線を合わせてそう言った。
「はぁ……その、別に大したことじゃ、ないんですけど」
 阿柄は訥々と語り始めた。
「クラスで……いじめられてるって程でも、ないかなぁ、って思うんですけど、みんなに馬鹿にされてる、っていうか……。あの、去年まではそんなでもなかったんです、けど。みんなと話してるのが嫌なわけじゃないし、こう……去年のクラスとかだと、他に……他にいじめられてた子がいて、今年その子とまた別のクラスになったんですけど、そしたら、みんな何となく、俺のこと、ちょっと……なん……」
 言葉にしづらいのか、あるいは泣きそうになるのをこらえているのか、阿柄の声は途切れ途切れになっていく。
「うんうん。そうねー。私、あんまりそういう経験ないからわからないけど、大変なんだろうなぁきっと」
 阿柄の気分を晴れさせようとしているのかそれとも単におざなりに返しているだけなのか、ともかく軽くそう受け流すと珊瑚は社のほうへと歩いていく。
「じゃさ、聞いてみよ。どうしたらいいですか、って。それ、ほっといたら本当にいじめになるかもしれないし。神様ならそれなりの答え返してくれるんじゃない? それなりとか言ってちょっと失礼かもだけど」
 古い木で出来た社の前の階段を上っていく。ぎしぎしという擬音よりもう一段階危なげな音を立てて社が軋んだ。珊瑚は、おっと、と足取りを慎重にする。
 社はやはり古い木の格子で閉ざされていた。錠前はなく、引けば開くだろうし、押せば向こう側へ倒れそうだったが、珊瑚はその前に立ち手を口元に当てて呼びかける。
「こんにちはー。この子の悩み事なんですけど、学級での立場が危ないというか、何かの拍子にいじめられそうな感じなんだそうです。どうしたらいいですか?」

 俺たちの前に現れた自称霊能力者珊瑚は、何を始めるかと思うと……突然コインロッカーの扉を叩き始めた。呆気に取られる俺と阿柄の隣で、彼女は最上段から順番にコインロッカーの扉を叩いていく。その素振りからすると、どうやら音を確かめているようだった。
「あの、ちょっと」
 声をかけてみたが、
「しっ。静かに……」
 と制される。……まぁ、やめてくれと言う理由もないが。
 そのうち彼女は、端のほうのロッカーを叩いて「ん、ここだ」と呟くと、改めて俺に向き直った。
「それじゃ始めましょうか。えっと、君名前何だっけ?」
「板東です」
「名前。下も」
「板東元です」
「OK。それじゃ板東君、料金は後払いで良いから、気を楽にして」
 下の名前必要だったか? これ。
「その前に一つ聞いていいですか」
「何?」
 先ほどから聞きそびれていたのだが。
「何で俺なんですか? こいつでいいじゃないですか」
 俺はそう言って阿柄に視線を向ける。阿柄は苦笑いを返してきた。
「大した理由じゃないよ。そっちの君の守護霊は何か、金髪のイケメンなんだけど、あ、そういう霊ともお話ししてみたいってのはあるんだけどね。板東君の守護霊のほうが面白そうで」
 守護霊が金髪のイケメンってだけでも相当面白そうなのだが、俺のはそれを上回っているのか。
「じゃぁ俺のは」
「君の守護霊はゼウスよ」
 精神的に一歩身を引いた。少なくとも面白くはねぇだろ。
「板東君、何か悩み事とかある?」
 珊瑚は相変わらず自分主導で話を進めてくる。
「え、まぁ、ないこともないです」
「悩み事がないことが悩みとか、そういうのはなしで。うん、じゃぁまずそれから聞いてみようかな。君の守護霊さんに」
 珊瑚はそう言うと、先ほど手を止めたコインロッカーをばん、と開き中を覗き込んだ。
「ん、あるねーやっぱり」
「何がですか?」
 俺の問いに、珊瑚はにやりと笑みを返すと、コインロッカーの中から一枚の紙切れを取り出して俺に寄越した。
「私、霊とこうやって会話できるの。霊の声を聞いたり、霊に色々命令したりね」
 受け取るとそれは俺も普段使っているような一枚のルーズリーフだった。その中央に、印字されたかのような綺麗な字で
『こんにちはー。この子の悩み事なんですけど、学級での立場が危ないというか、何かの拍子にいじめられそうな感じなんだそうです。どうしたらいいですか?』
 と書かれていた。
 まさかこれが俺の守護霊の言葉とでも言うのか。ゼウス軽すぎだろノリが。後ろからそれを覗き込んだ阿柄が「おおお」と感嘆の声を上げている。もしかして本気で信じてるのかこいつは。
「それが君の守護霊さんの声ね。君、学校でいじめられてるの? 可哀想にねー」
「俺はいじめられてないですよ」
「自分でそう思ってるだけじゃないの? 無理はよくないよ」
 流石にいらっときた。ため息をつき、心を落ち着かせる。どうせいんちきなんだ。話半分に聞いてこの状況を楽しもうぜ俺。金を払うのは癪だが。
「つーかいじめられそうってだけじゃないですか、この文面だと。それだったらまだこいつのほうが」
 再び阿柄を指し示す。
「いじめられっ子体質っていうか」
「こらこら、守護霊の言葉を疑っちゃ駄目よ。ほら、とりあえず君も返事っていうか挨拶しておきなさいよ。話すの初めてなんでしょ?」
「そりゃそうですよ。……挨拶?」
 そう、とそれが当然のことであるかのように珊瑚は頷く。
「初めまして、今まで守護してくれてありがとうございました。これからもよろしくお願いします、とか。紙に書いてここに入れるだけでいいから」
 ……まぁ、ここは話に乗っておくか。この状況が笑えそうで笑えないのは、目の前の珊瑚が何もかも至極当然のように淀みなく話すことと、後ろで阿柄がしきりに感心したように唸っているからだろうか。
 俺は鞄からルーズリーフと筆箱を取り出すと、
『初めまして。いつもお世話になってます。あなたとは触れ合えないけど、これからも色々とよろしくお願いします』
 と走り書き、コインロッカーの中に入れた。一応ちらっと覗いて見たが、特に不審な仕掛けなどは見当たらない。
「れじゃ、送信、で」
 珊瑚はそう言って扉を閉め、こんこん、と扉を軽く叩いた。

 宇宙人からのメールを開くと、モニターに短い文章が表示された。身を乗り出してモニターを食い入るように見る珊瑚がそれを読み上げる。
「えーと、何々……? 『初めまして。いつもお世話になってます。あなたとは触れ合えないけど、これからも色々とよろしくお願いします』……だって。今日は礼儀正しい人と繋がってるね」
「そうですね。でもこの『初めまして。いつもお世話になってます』って文章はどういう意味なんでしょうか?」
 阿柄が首を傾げる。確かに矛盾した文章だ。まぁマトモな文章を期待するものでもないだろうが。恐らく珊瑚かその協力者が、基地内の通信システムに悪戯をして……いや、深く考えるのはよそう。無粋って奴だ。
「にしてもあなたとは触れ合えない、かー。こういうこと言われると何か寂しいな」
「そうですね……。きっと、すごい遠くから送ってきてるんですよ。どんな人なのかなぁ……」
 近頃、阿柄は本気で珊瑚が作り出した宗教に傾倒している節がある。何でこいつは偉い地位についているんだろう。
「阿柄さん、返事出してみて」
 珊瑚はふと思い立ったように軽くそう言ったが、阿柄は驚いて飛び上がる。
「お、俺がですか!?」
「うん。大丈夫、何事も経験だって。ほら、向こうは礼儀正しい人だから」
 さっきから「人」って呼んでるのが気になるな。人って言い方はおかしいだろっていう。まぁこいつらの邪魔はしたくないから口には出さないが。
 俺は席を立ち、阿柄に操作を譲った。阿柄は緊張した面持ちで返信を書き始める。
「えっと、……『こちらこそよろしくお願いします。僕は阿柄といいます。今、どちらにいるんですか?』」
 そして送信する。送信先は書いていないはずなのに、メールの送信は滞りなく受理された。

 ことん、とコインロッカーが鳴った。珊瑚は、ふふん、と軽やかに笑うとコインロッカーを開け、俺に中を覗くように手で示した。
 見てみると、先ほど俺が入れたものとは明らかに違うルーズリーフが入っていた。どうなっているんだろう、確かに同じロッカーを開け閉めしているし……いや、考えるのはよそう。阿柄が楽しんでるらしいからそれでいいじゃないか。詮索するのは無粋ってもんだ。
「何て返ってきた?」
 珊瑚に促され、俺は返信の紙を取り出して読み上げる。そこにはこう書かれていた。
『こちらこそよろしくお願いします。僕は阿柄といいます。今、どちらにいるんですか?』
「ゼウスじゃねぇじゃねぇか!」
「阿柄って名前のゼウスなのよ」
 珊瑚はしれっと意味不明な言葉を口にした。俺は呆れて物も言えない。
「俺と同じ名前なんですね。偶然でしょうか」
 肩越しに覗き込む阿柄が言った。
「さぁ、きっと先祖なのよ。阿柄君の」
「ふーん、そうなんですか……何だか、あれですよね。運命的です。俺の先祖が、板東の守護霊……でもこれ何か変じゃないですか?」
 今更疑問を口にしようとする阿柄。もうこいつは放っておこう。
「つーか現在位置聞かれてますよ。何でですか? 守護霊なら俺がいる場所くらいわかるでしょう」
 俺がそう尋ねると、珊瑚はうーんと口元に人差し指を当てて考える仕草をする。
「ゼウスなんだからギリシャにいるんじゃない? だから板東君の位置がわからないとか」
「段々適当になってきてませんか?」
 珊瑚は、あははー、とあさっての方を見て乾いた笑いを零した。一体何なんだこの女は。
「……まぁ、とにかく返事書きましょうか」
「そうね、それがいいと思う」
 頭が痛いがとにかく合わせていくしかないか。まぁ、これはこれで話の種にもなるだろうし。俺はそんな軽い気持ちで守護霊にこう返事を書いた。
『今ロッカーの前にいます』
 わざと言葉を減らしてみる。さぁ、ギリシャからこの駅前のロッカーが特定できるだろうか。

 ぽん、と軽い電子音がして、モニターに新着メールを受信したと知らせる表示が出た。
「もう来た!?」
 あまりに迅速な返答に阿柄も珊瑚も驚いている。
 俺は言われる前にメールを開いた。どうせまたすぐ返事を書くのだろう。仕事の邪魔だが今日はもう諦めよう。楽しんでいってくれ、宇宙人との会話を。
「ロッカーの前にいます、だって。ロッカー? ロッカーって言ったら……」
 珊瑚は阿柄の顔を見る。阿柄は、はい、と頷いて、
「こ、この基地には……そうですね、一階のロビーにロッカールームがあります、外来用の。そこ……かな……?」
 と震える声で答えた。おいおい、さすがにそれはないだろ。
「……何で宇宙人がうちの基地のロッカールームからメールを出してるんですか」
 一応聞いてみた。こいつらには何を言っても無駄だと思うが。
 珊瑚は案の定さも当然といった風に
「通路のど真ん中でメール打ってたら邪魔でしょ? だからじゃない?」
 と俺を見て言った。正論……に聞こえる。
「で、どうするんですか」
「とりあえずここに来てもらったらいいんじゃない? 阿柄君、六階の情報管制室まで案内してあげて」
 珊瑚に指示され、阿柄はまたメールを打つ。
「はい、じゃぁ、えと……『道を教えますね。とりあえず上を目指してください』、って感じでいいですか?」
「そのくらいでいいんじゃない?」
 珊瑚の了解を得、阿柄は新たなメールを送信する。

 二人はしばらくその場でじっと待っていた。といっても、実際にそれを待っていたのは珊瑚だけで、彼女から少し離れて控える阿柄はこれから何が起こるのか検討がついておらず、不安そうに無言で棒立ちになっていただけだった。
 やがて珊瑚は、来た、と言って阿柄の方を振り返り、社の縁に腰掛けた。
「今、神様から返事が来たよ」
「え……何て?」
 顔を上げる阿柄に珊瑚は嫣然と笑いかけ、そっと告げる。
「道を教えてくれるって。とりあえず上を目指しなさい、だって」
「上……? え、それって、……偉い人になりなさいってことですか?」
「多分ね」
 期待していた言葉ではなかったのか、阿柄はううん、と渋い顔をして俯いてしまう。
「そんなこと言われても……」
 彼はもっと明確な答えを求めていた。彼自身はいじめられているという実感は今のところ抱いていないし、彼のクラスメイトもまたそんなつもりはなかっただろう。だが彼には漠然とした不安があったのだ。
「だって、何をすればいいのかわからないんです。俺には……」
 元来彼は特別自己主張の強い人間ではなく、どちらかといえば押しの弱い性分だったが、それでも人に見下されている、ということに対しては過敏に反応してしまうのだった。秀でなくてもいいが、人より劣るのは嫌だ。それは優越感を得たいという衝動ではなく、人に置いていかれるのが嫌だという、ただそれだけの感情から来るものだったのだが、彼はそのことを自覚してはいなかった。
「何をすればいいかって、例えば、じゃぁ……」
 珊瑚はそんな彼の内面を知ってか知らずか、幾分声を和らげて尋ねる。
「君、何年生?」
「え?」
 突然の質問に阿柄は顔を上げる。
「今、三年生ですけど……」
「そっか。じゃーもうちょっと待って、来年になったらさ、生徒会にでも入りなよ」
「生徒会……って?」
「だから、もう立候補できるでしょ、四年生くらいになったら」
「立候補って……」
 鸚鵡返しに聞く阿柄を見て珊瑚はくすくすと小さく笑い、いい? と前屈みになって彼の目を覗き込む。
「最初は形だけでも、やってみたらいいのよ、偉い人ってのを。やってみたら案外適任かもよ? いじめられるかどうかは知らないけど、私から見たら君、結構人に好かれそうな性格してるし。それに、ね?」
 指で社を指し示す。
「神様がそう言ってるんだから従ってみればいいんだって。神様に頼りっぱなしになるのもどうかと思うけど、たまにはいいと思うよ。ね?」
 阿柄は少しの間珊瑚の行った言葉を反芻しているようだったが、やがて、うん、と強く頷いて拳を握った。
「わかりました。俺、やってみます! やってみたら、何か変わるかもしれない、し、ですよね!」
 元気を取り戻したというよりは、自分を奮い立たせているようだった。曖昧で、降って湧いたような決意を胸に瞳を輝かせる阿柄を見て、この子、詐欺とかに遭ったら色々巻き上げられるだろうな、と珊瑚は人事のように思った。
「れじゃー今日はもう帰ろうかな、私も。神様の声聞けて満足したし」
 珊瑚はそう言い、社の縁から飛び降りた。
「あの、ありがとうございました」
 阿柄が律儀にも礼をする。珊瑚は彼の頭を撫でながら、
「お礼なら神様にね。また何かあったらここに来るといいんじゃないかな。ここって、もともとそういう場所だし」
 と最後のアドバイスを残した。
 じゃまたね、と手を振ってその場を立ち去ろうとする珊瑚の背中を、阿柄が慌てて呼び止める。
「あっ、あと一つだけ、聞きたいことがあるんですけど」
「ん? 何? 神様も疲れちゃうよ、あんまり何回も質問されたら」
 珊瑚は歩きながら肩越しにそう言った。
「神様じゃなくて、珊瑚さんに」
 私? と珊瑚は歩みを止めて振り返る。
「結局珊瑚さんって何してる人なんですか?」
「私、ねー」
 うーん、と腕を組んで少し考えた後、にっ、と晴れやかな笑顔を浮かべて応える。
「善意の似非神職者よ」



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